もちろん、カレンダーが白いからといって、全く用事をしていなかったわけではなく、単に外部との約束がなかったということにすぎない。何より、2020年はCOVID-19によるステイホームが日常になっていたことも重なって、年末もそれまでの日々と同じようにパソコンに向かって、何か書きものや書類のスキャンなどの作業をしていた。外に出歩いたことと言えば、近所のスーパーへの買いものに出かけた、そのついでに荷物を発送した、たこ焼きを買いにいった(ちなみに夕食として、であり、何とも関西暮らしが板についてきたように思う)、くらいだろう。結果として、法然院へのお参りのみバスに乗車しており、その他、自転車・自動二輪車・四輪車など、車がつくものには一切乗らない年末年始だった。
1月4日の朝、LINEの通知で「1都3県に緊急事態宣言へ調整」というニュース速報(9:43、朝日新聞)が届いた。短い本文には「菅義偉首相は1都3県に週内にも緊急事態宣言を発出する方向で調整に入った。」とあった。「へー」と思いながら、手軽なニュースソースとしてYahoo!ニュースを開いてみると、ほぼ同じ頃のニュース「菅首相、首都圏に緊急事態再宣言へ 「強いメッセージ必要」週内決定」(9:28、時事通信)に「菅義偉首相は4日午前、首相官邸で年頭の記者会見に臨み、東京都と埼玉、千葉、神奈川3県を対象に、新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言の再発令を検討すると表明した。」とあった。そしてふと、2020年4月の緊急事態が宣言されたとき、そしてその後の職場(立命館大学)での動きのことを想い起こした。
宣言は発令か、発出か、そして受動態か能動態か。4月の緊急事態の宣言の際には、宣言が主語で受動態で表現されるのが発出(宣言が発出される)、一方で宣言する人が主語で能動態で表現されるのが発令(宣言を発令する)、と捉えていたものの、どうやらそういう訳でもないようだ。文法の問題ではなく文意として、要は上意下達という意図(命令の令)が前面に出ぬよう、現状に即して表出(表に出す)という結果に至ったことを強調したいのだろう。そんなことに思考を巡らせていたら、今日もまた、日没を見ることができなかった(あるいは、日没が見られなかった)。
2021年1月4日、17:04、京都市上京区より南西方向を望む。
(Nikon D3s, NIKKOR 85mm/1.8, f16, 1/80, ISO400)