徐々にお正月モードから抜けつつあるような、しかしお正月だからこそ動いているような、そんな振れ幅の大きい一日だった。朝は立命館のお仲間の皆さんで年始の交流の場に参加させていただいた。メンバーの中では若輩になるものの、少なくとも学生との年齢差は開くばかりである。果たして今後どのような仕事の仕方が適切か、お仲間どうしだからのざっくばらんな会話の中で、互いに「退職までの過ごし方」が話題となった。
ただ、どんな場でも、どうしても令和6年能登半島地震が話題になる。午後には対面ではなくネットで、今後の復旧、復興についてのアイデアが交わされた。その中で、今回の地震では2004年の新潟県中越地震からの復興過程で生じた課題と、それらへの対応方法などから参考になる部分があるのではないか、という観点が示された。私は長らく新潟県小千谷市の塩谷集落の復興過程に携わってきたものの、本格的に関わり始めたのは仮設住宅での生活を終え、現地再建や集団移転などの選択を経た後ということもあって、ミクロとマクロの両面をつなぎあわせた上での現時点での支援のあり方については、即座に明快なアイデアを出すことができなかった。
そうした中、夜は大学を横断した知恵絞りの会にお誘いいただいて足を運んだ。その際、ふとしたところでレトリックの観点から、当事者の主体性にまつわる姿勢について問い直しが必要ではないか、という指摘をさせていただいたところ、その場にいた方々の多くに響いたようであった。例えば「人を集める」と「人が集まる」では、そうした状態に対する担い手や方法の捉え方が変わるのではなかろうか、という具合である。いずれの表現においても、客観的に社会を捉えているようで、どこかで他人事にしてしまっていないか、自分はどこにいるか、そんな具合に、構想や計画の立て方について、即興音楽を奏でるかのように、自由な発想と表現のもとで他者を立てつつ議論を重ねた。
自宅に戻る際、とうに閉門時間は過ぎていた北野天満宮に立ち寄った。毎年恒例の絵馬が高らかに掲げられていた。「開運」の字に、果たして伝統宗教が現世利益への道を開いていいのか、といった思いを抱いてしまった。一方で、Wikipediaに「宗教的ではないがスピリチュアル」という項目さえある今、現世利益はSBNR(Spiritual But Not Religious)のもとでのマインドフルネス、ウェルビーイングと同義なのかもしれない、などと考えながら家路に就いた。