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2013年8月31日土曜日

こどもとアートと秩序

昨日、8月30日から應典院では「キッズ・ミート・アート」という催しが開催されている。大阪の城南女子短期大学の主催により、應典院の本寺である大蓮寺と、大蓮寺によって設置されたパドマ幼稚園との連携で企画・運営された事業である。文字通り、こどもたちがアートに出会う機会を生むというもので、10名の作家さんらの参加で、多彩な場が生み出された。2日間で200名を超える参加者を得た。

今回の企画・運営にあたっては、私は前線に立たず、2名のスタッフと3名のインターンが核となった。ただ、企画の当初、あるいは要所では、少しだけ関わらせていただいた。そのときに論点となったのは「主体性」についての考え方である。よい出会いのためには、誰が何を決定するのがいいのか、選択肢はどのように提示されるのがよいのか、といった。私は一貫して「申し込む」という行為自体が、よい出会いを疎外しないか、と問いかけることにした。

約4ヶ月にわたって準備がなされた上で本番を迎え、そのプログラムの最後に用意されたのが「ART MEET US」というトークセッションであった。実は「キッズ・ミート・アート」という催事名を含め、「ART」か「ARTS」かで、小さな論争を重ねた。ただ、こうして言葉にこだわってしまう私は、トークセッションを終え、特に「即興楽団UDje( ) 」のナカガワエリさん、そしてトークのゲストに迎えた山本高之さんの語りを通じて、「言葉に整理すること」に潜む暴力性を見つめることになった。要は「そんなつもり」ではなくても、誰かの促しによって「そうなってしまう」ことの隔たりに、ある種の緊張感を持たねばならない、ということである。


トークの中で、秋田光彦住職が「秩序」という視点を織り交ぜた。アートはある種の秩序を壊す、といった意味だったと思われるが、表現「させる」ことによる秩序では、相互の関係は極めてもろく、そして、抑圧的である。経済学者・シュンペーターが用いた「創造的破壊(Creative Deconstruction)」の大切は、膠着した状況下で新陳代謝が必要だ、という具合に、生命メタファーを用いて説明がなされるところであるが、強靱なリーダーシップや強烈なインパクトによってもたらされる秩序は、集団内での凝集性が希薄なゆえに、生み出された瞬間から減衰もしくは崩壊への一途を辿りそうだ。転じて、時に変化0の時間をも維持しながら、相互作用によって変化を続けていく即興表現に、他者を尊重した秩序の生成と発展を見た、そんな1日であった。