「春はお別れの季節」という文字を、節をつけて口ずさんでしまう(「おニャン子クラブ」の解散コンサートを小学校6年の夏休みに見た)世代である。とかく、大学教員をしていると、facebookのタイムラインには、ゼミの卒業生との集合写真が流れてくる。しかし、私は学部ではない(学部を横断して教養教育を展開する共通教育推進機構)所属のため、そうした場を共にすることがない。少しだけさみしさを抱くこともあるが、逆に言えば、ゼミを持たない教員としてのお役目をいただいている。
昨日から今日にかけては、「出会いと別れを繰り返し」ていく時代の中、立命館大学サービスラーニングセンターの学生スタッフの合宿に参加した。学生スタッフは年に2回募集されており、2004年に衣笠キャンパスで開設されたボランティアセンターを母体として2008年度に設立されたセンターゆえ、大学ボランティアセンターのボランティアコーディネーターという性格を持っている。合宿では、活動を担う上での能力に対する研修を行うと共に、役割に対する一定の理解が促される。そして合宿への参加を通して初めて、センター長から学生コーディネーターとして任命されるのだ。
ところが、今回の合宿には任命予定の36名のうち20名が一部参加もしくは欠席ということになった。また、来年度からは3キャンパス体制になるのだが、1つのキャンパスは個人の「やりたいこと」に焦点を当てた議論に終始しそうな流れになっていた。そこでたまらず、組織の一員としての自覚や責任をどう考えているのか、と問いかけることにした。結果として学生たちは黙ることしかできず、恐らく相当もどかしい思いを抱いたことだろう。
任命証が渡された後、コメントをする機会があったので、2つのことを伝えた。一つは「欠席した人たちから何かを託されたのか」という問いかけをすることで、たとえ出席できなくても参加する方法はあることである。もう一つは「社会と自分を語る言葉を豊かにするために、語彙だけでなく語り口を増やして欲しい」ということで、手始めに読んで欲しい3冊の本(加藤哲夫『市民の日本語』、大平健『やさしさの精神病理』、鷲田清一『「聴く」ことの力』)を紹介した。合宿の後、大学コンソーシアム京都に在職中にお世話になった富野暉一郎先生の退職記念大感謝祭にお邪魔したが、まさにこの場は出席している者によりよい未来を託す場だったように思い、心していかねばと背筋が伸びる思いで会場を後にするのであった。
昨日から今日にかけては、「出会いと別れを繰り返し」ていく時代の中、立命館大学サービスラーニングセンターの学生スタッフの合宿に参加した。学生スタッフは年に2回募集されており、2004年に衣笠キャンパスで開設されたボランティアセンターを母体として2008年度に設立されたセンターゆえ、大学ボランティアセンターのボランティアコーディネーターという性格を持っている。合宿では、活動を担う上での能力に対する研修を行うと共に、役割に対する一定の理解が促される。そして合宿への参加を通して初めて、センター長から学生コーディネーターとして任命されるのだ。
ところが、今回の合宿には任命予定の36名のうち20名が一部参加もしくは欠席ということになった。また、来年度からは3キャンパス体制になるのだが、1つのキャンパスは個人の「やりたいこと」に焦点を当てた議論に終始しそうな流れになっていた。そこでたまらず、組織の一員としての自覚や責任をどう考えているのか、と問いかけることにした。結果として学生たちは黙ることしかできず、恐らく相当もどかしい思いを抱いたことだろう。
任命証が渡された後、コメントをする機会があったので、2つのことを伝えた。一つは「欠席した人たちから何かを託されたのか」という問いかけをすることで、たとえ出席できなくても参加する方法はあることである。もう一つは「社会と自分を語る言葉を豊かにするために、語彙だけでなく語り口を増やして欲しい」ということで、手始めに読んで欲しい3冊の本(加藤哲夫『市民の日本語』、大平健『やさしさの精神病理』、鷲田清一『「聴く」ことの力』)を紹介した。合宿の後、大学コンソーシアム京都に在職中にお世話になった富野暉一郎先生の退職記念大感謝祭にお邪魔したが、まさにこの場は出席している者によりよい未来を託す場だったように思い、心していかねばと背筋が伸びる思いで会場を後にするのであった。