気づけば調べ物が好きになっていました。今ではインターネットという便利なものがあるので、検索エンジンに知りたい事柄を入れれば、比較的簡単に情報を得ることができるようになりました。そこでは、SEO(search engine oriented)という概念で「見つけられる」側の工夫が取り上げられるところですが、当然、見つける側も、適切なキーワードの選択が必要となります。文字通り「キーワード」、すなわち、鍵を開けることばを選び抜かねばならないのです。
思えば大学に入ってすぐ、私はNCSA Mosaicというブラウザという道具と、メディアセンターと名付けられた新しい図書館の形態に触れ、知の扉が常に開かれていることに小さな興奮をしていたように思います。そこには入学と同時に開学した、真新しい立命館大学びわこくさつキャンパスであったことも無関係ではありません。今であれば、Microsoft PowerPointなどによって「説明」がされていくような講義形式が半ば主流となってきているかもしれないのですが、そうした真新しいキャンパスであっても、講義そのものは板書とレジュメが中心でした。しかし時には視聴覚素材が織り交ぜながら、まるで教員がディスクジョッキーのように伝えることを楽しみながら学びの場をプロデュースしている講義もあり、高校とは違うな、と感じることも、ままありました。
理工学環境システム工学科に土木計画学を学んでいたこともあって、専門教育の中で「PDCA(Plan→Do→Check→Action)サイクル」について、複数の講義でその意義を叩き込まれたものの、そうして得た知見を社会に重ねていく上では「PDCA」の前の段階に+R、すなわちResearchが重要であることを仲間から教わりました。転じて、学生時代から、多様な実践に関わることができたのも、そもそも何かをする前、そして計画する前に「調べる」ことに楽しみを得ていたためなのではないか、そんな風にも思ったりするのです。逆に言えば、調べる、計画する、そうしたことに楽しみを覚えるがゆえに、実行する、評価する、そして当初の計画を遂行する、そうしたところまで集中力や執着が徹底できないのかもしれない、そんな開き直りのようなことも思ったりもしてしまいます。
そんな、思い出深い大学時代を過ごした立命館大学びわこくさつキャンパスに、この4月から戻ることになりました。大学としての質量両面のサービスが充実してきた中、学ぶとは何か、大学とは何か、そして今の時代とは、ということに真摯でありたいと思っています。今、立命館は「+R」(末川博・名誉総長の「未来を信じ 未来に生きる」のことばをもとに、立命館を未来にプラス、という意味合いだと思われます)というタグラインを定めていますが、この「R」のアルファベットに重ねて、「調べる(Research)」の楽しみを、大学時代に深く味わって欲しいと願っています。そして、学習者に丁寧に寄り添っていく、そんな決意や約束の意味を込めて、綴ってみました。
心機一転ということで、立命館カラー「えんじ」に近い、LAMYのローラーボール(水性ボールペン)「AL-star(アルスター)」のラスベリーを使い始めたので、まだ、名前の入っていない個人研究室のプレートの前で一枚。
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