「データ、ありがとうございました。」学生からLINEのメッセージが届いた。先月、広島に災害救援のボランティアで共に駆けつけた学生からであった。この間、パソコンのトラブルもあって、送付する約束が後手後手に回っていた。
約束を果たしてほっとしたところで届いたメッセージに、ささやかな違和感を覚えた。確かに写真を送ったのである。確かに送ったのはデータだ。しかしデータにお礼を言われるのか、という具合である。
研究を仕事の一つにしていることも重なって、データが重要なことはよくよく感じている。データの数、誤差、傾向、それらから何らかの意味を見いだしていくのが研究である。とりわけ、得られたデータから何がわかるかだけではなく、わかったことに対してどうしたらよいかを示すのが、私の専門としているグループ・ダイナミックスの流儀だ。その点、今回、学生たちに送ったデータが、今月末の学外での発表機会にうまく活用されることを願ってやまない。
思えば、写真だけでなく、音楽も、また手書きのメモさえも、デジタル化してデータとなっていく。今なおファクシミリを電送と表現している人に時折出会うが、もはや電話でさえもデジタル化されて相手に届いていく。情報通信ではノイズがない方がよいとされるが、現実世界ではノイズにあふれているからこそ、よく見て、よく聞き、わかりたいと思う衝動に駆られることもあるように思う。とはいえ、こうした思考を表現することもまた、キーボードを通じてデジタル化されていることに気づかされると、明日からの気仙沼にフィルムカメラでも持っていこうかなどと考えてしまうものの、もっと他に準備をすべきもの、何より片付けなければならないことが多いと、現実に引き戻されるのである。
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