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2014年12月29日月曜日

レシーブとリターン

 今年は毎日、日記を書こうと決めていた。正確に言えば、去年もまた、そう決意していた。結果として、比較的長く続いた方とはいえ、毎日は続けられなかった。特に4月になって、新たな年度を迎えて、倍近く増えた授業の運営にてんてこまいになってしまったことが一つの要因だったように思う。
 年の瀬となり、この1年を振り返る場に立ち会うことが多いのだが、今年はレシーブとリターンの違いを語ることで、来年度に向けた決意をあわせて示すようにした。いつものとおり、比喩を交えての論理展開である。バレーボールとテニスとを対比してみると、レシーブとリターンの違いは区別しやすいだろう。どちらも相手のコートにボールを返すことなのだが、レシーブは受けるもの、リターンは戻すもの、そうした表現で違いを示すことができそうだ。
 この一年は、まったくもって相手からの受けの姿勢が多く、きちんと相手に返せていなかったのではないか、そんな気がしている。しかも、なんとか受けて、ギリギリ返した、そんなことばかりだったように思う。皮肉なことに、サービスラーニングセンターという組織に所属を得ているのだが、よいサーブに対してよいリターンを戻した上で、互いにラリーを重ねていくだけの余裕を持てなかったのだ。しかも、余裕のないリターンゆえに際どいリターンエースにはならず、単に自滅への道をたどることになる。
 今日は應典院の大掃除と忘年会となった。ただ、朝から読売新聞の取材、また午後は住職の用務で作業に貢献することがほとんどできなかった。リターンどころか、レシーブもできなかった、という具合である。そんなわけで、約15年前の浄土宗21世紀劈頭宣言の筆頭に掲げられた「愚者の自覚」ということばをかみしめるべく、日記を綴ってみるのであった。

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