私にとって大学の入学式とは、脱学校へのモードチェンジの機会でした。それまで、小学校から高等学校まで、家族と健康と仲間と師に恵まれたこともあって、無遅刻・無欠席・無早退で通してきたのですが、入学式早々に、遅刻、早退することになったのでした。しかし、生まれて初めて地元を離れ、地理に不案内ななか、開学したばかりの立命館大学びわこ・くさつキャンパスに赴いた日のことは、よく覚えています。真新しい「BKCジム」(体育館)で、当時の大南正瑛総長・学長が、落ち着いたトーンで語りかけていた内容は、最早想い起こすことができませんが…。
あれから17年。7761名の新入学生と1318名の新入大学院生を得た立命館大学・大学院は、入学オリエンテーションを先行させ、4月4日に京セラドーム大阪にて、一括の入学式を行いました。冒頭は震災犠牲者への哀悼の復興への祈りを捧げる黙祷から始まりました。川口清史総長の式辞では「負わされた心の傷からの回復やまちの復興だけでなく、地球の未来に対する根源的な問いに対して貢献できる道を探る必要がある」とし、「根底から再建する特別な使命への期待が寄せられることを自覚して欲しい」と、未来を拓く立命人たちに期待がかけられました。
ただ、今回、入学式に参列して、変な比喩ですが、挙式・披露宴、葬儀・告別式の関係を考えてしまいました。それは、入学式典と新入生歓迎式典と二部構成になっていたこと、そしてその第二部の構成と進行、そして内容が、どうも「式典」ということばに負けているように思えてしまったためです。無論、そうした二部構成が悪いと言いたいのでもなく、むしろ昨今の挙式・披露宴や葬儀・告別式では、前半の儀礼的側面に対して後半の情緒的側面(この二元論が妥当かは今回立ち入りません…)が特に珍重され、多くの人々の喜びあるいは悲しみを誘う場として、忘れ得ない機会となっていることは、人生の一コマ一コマにおいて、大きな意味があると捉えています。しかし、今回の入学記念式典において、しかも新入学生・新入大学院生が一同に回する場で展開されて相応しいものであったのかを(少なくとも私は、テレビというメディアによってもたらされている「何か」があった、という感覚を禁じ得ません…)、大学・大学院に入学することの意義からの評価を切に望むところです。
ともあれ、入学式典における儀礼的側面は、先の東北地方太平洋沖地震による被害を悼み、被災地から距離が離れているとはいえ、高等教育機関として東日本大震災からの復興に何らかの役割をに担っていく決意が随所に織り込まれたものだったと感じ入っています。とりわけ、立命館大学父母教育後援会の千宗室会長のことばに、茶道を究める文化人としての品格を見ました。要約すれば、「人間社会では年齢や国籍を問わず、あらゆる困難を乗り越えてきた。ここにいる全ての人が、どうなったら状況が改善、安心できるかを考える責務がある。その際、相手を思い続けることが大事」、と。「我が母校」の校歌・応援歌を高らかに歌えたことに小さな満足感を覚えつつも、若干、陰鬱とした気分で会場を後にしたのですが、出口に構えていた学生らが大声を挙げながら募金活動に取り組んでいる姿を見て、今日この日を迎えた全ての人々が、数年後も変わらず母校を思い続けて欲しい、そう願ってやみません。
会場外での誘導にあたっていた職員の中に、在学中、大変お世話になった松井かおり学生課長が…(今や、課長でいらっしゃいます…)