火曜日は出講日である。大学に職を得た人にしか通用にしないかもしれないが、要するに、講義のためにキャンパスに出向く日、だ。ある種の自由業として位置づけられる大学の教育職員(すなわち、教員)には、タイムカードがない。数年前、立命館ではタイムカードの導入が検討されたというが、結果として教育と研究の両面を担う労働者であるが、専門職であるという前提のもとでの裁量労働として位置づけられてきている。
特にフィールドワーク、アクションリサーチなどを研究手法としている私にとって、なかなか研究室に座っている、ということはない。ただ、それは大学教員が主たる仕事ではなかったときも、自分のデスクに座って、固定電話にかかってくる案件に対応する、というようなワークスタイルではなかった。振り返れば学生時代も、自宅の留守番電話に多くの録音が残され、「折り返しの電話」が求められたため、比較的早い段階で携帯電話を購入したことも、今に続くライフスタイルやワークスタイルに一貫する何かを見いだせそうだ。
そんな私が担当する講義は、自ずから、いかに生きるか、どんな仕事をするか、ということがテーマに盛り込まれる。本日であれば、5限の「地域参加学習入門」ではギャップイヤーを取り上げ、サービスラーニングセンターの白井恭子さんの話題提供とあわせて、いかにして大学と大学以外との接点を持つか、ということに迫った。そして、5限の「シチズンシップ・スタディーズII」では、約1ヶ月にわたって学生たちが立案をしてきた企画の本番を迎え、事前に参加を募った10名の学生らと共に、「着物で夏の京都を旅するプラン作り(と実際に足を運ぶための約束を結ぶ)」というワークショップに立ち会った。ちなみに昼休みから3限のあいだは「コアタイム」と称する時間を提供しており、通常は研究室で学生の来訪を待つ「オフィスアワー」を、逆に講義室に教員が足を運び、学生たちが自主的・自発的に集まって相談をし、学生たちの悩みや迷いに助言する、そうした趣向を採っている。
既に前期セメスター(セメスターとは学期のこと)の講義は本日を終えるとあと2回を残すところとなっているのだが、大講義は大講義なりに、そして演習は演習なりに、学生の学びと成長を実感することができる。総じて、それは態度と言語に出る。板書しかしない、もっと言えば机の上に鞄を置いていた学生たちが未来の自分への「ネタ帳」よろしく積極的にメモを取り、コミュニケーションペーパーと呼んでいるシートには授業時間以外に得た体験や知見をもとに質問やコメントを綴り、何より学生どうしが直接対話をする機会には自ら進んで他者に働きかけていく、といった場面を出合うと、フィールドとデスクの両方が大事であることにどうしたらより関心が向くか、さらなる工夫を重ねたくなる。そんなこともあり、サービスラーニングセンターでは自分の伸びしろに関心が向くように、「自分で自分の可能性を閉ざさないで」と、大学と大学以外への「糊しろ」を手を変え品を変え、呈示しているのである。