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2008年7月6日日曜日

ボランティアの知

 結婚について綴ったところ、多くの方からお祝いのことばを頂戴した。綴ることが知らせることになり、知らせることで伝わることがある。インターネットという媒体の特徴が、ブログには最大限に反映しているように思う。転じて、こうして読み手から簡単かつ直接に反応が得られるとき、ブログを継続して書くことに手応えを覚えるのだろう。

 先般は一切書かなかったが、私(たち)の「その日」のために、準備を進めている。今日は、新婦側の着物の生地選びとドレスの仮縫い、新郎側のスーツのサイズ合わせなどを行ってきた。ちなみに、仏前結婚式ということもあって、私は法衣での式となる。朝からそれなりにまとまった時間を取ることができたので、これらの服関係の前に、結納返しで誂えていただくことになった鞄屋さんにも伺ってきた。

 道すがら、式の次第、宴席の進行について話題となった。式については、世の倣いに従いつつも、一定、浄土宗としての作法があるので、私たちが考える余地は皆無に等しい。一方で、宴席は、創意工夫の幅があまりに広い。来週は、このあたりの考える時間をつくることにしよう。

 「野球は筋書きのないドラマだ」とは、巨人、西鉄、近鉄、ヤクルト等、プロ野球の監督歴任した三原脩さんのことばだ。筋書き(シナリオ)は無くても、人々の関わり合いの中にドラマ(物語)が生成されることは、常々実感しているつもりだ。だからと言って、一切の準備をせぬまま出来事に臨むのは、「即興」と「その場しのぎ」の混同である。「ええかっこしい」でその場をこなすのではなく、その場その場に誠実に向き合うことができるよう、適切な段取りを段取りをつけていくこととしよう。



注:三原監督が歴任した球団について、ご指摘をいただき、加筆修正しました。(2008.7.6, 21;22)





ボランティアの知

第二章 阪神・淡路大震災

二 セオライジング㈵ 集合的即興ゲーム




災害救援には、大筋でのストーリーはあっても、事の詳細を記したシナリオはない。阪神・淡路大震災での経験を振り返ってみても、発災直後から、人命救助を中心とする救急救命期、水・食料といった最低限の物資が必要となる緊急期、避難所等に入った被災者に対する救援物資やさまざまなケアが必要となる救援期、ライフラインが復旧していく復旧期、地域の復興に向けて動き出すとともに、被災者に対する息の長いサービスが要求される復興期、といった大筋の展開が見られたことはたしかである。しかし、各時期、各場所における活動内容には、そのときどきの参加者が臨機応変に対処すべき事柄が多く、あらかじめすべてを計画するのは不可能であった。ジャズの比喩〔改ページ〕に託すならば、曲調やコード進行は、ある程度あらかじめ決まっているけれども、それをいかに演奏するかという点は、事細かに規定されているわけではなく、演奏者は臨機応変に演奏するわけである。

(渥美,2001, pp.32-33)







災害救援の現場から得た「即興」という着想を、もう少し抽象化し、より一般的な考察を加えてみよう。ここでは、即興を「安定した規範が消失した後に、人々の織り成す集合性が帯びる様相」として捉える。

(渥美.2001, p.35)



一般に規範は、行為の妥当・非妥当を指し示す操作であった。妥当・非妥当を指し示す操作であった。妥当・非妥当の区別の集合を、ルールと呼んで動的性質をつかんでおこう。ルールを取り巻く行為の集合をゲームという。そして、このように規範が生生流転する事柄における諸集団の振る舞いを「集合的即興ゲーム(Collective Improvisation Game)」と呼んでみたい。

 集合的即興ゲームが始動するのは、安定した規範が消失したときである。災害は、その典型的な例であった。集合的即興ゲームのルールは、時々刻々と変化する規範に支えられ、一定不変ではない。集合的即興ゲームの継続には、次々と行為が連続していくことが求められる。

(渥美.2001, p.37)



集合的即興ゲームの要素は、ゲームの継続に寄与するかどうかという基準で決まる。ゲームの継続に寄与するものは要素の集合に入り、そうでないものは集合に属さない。集合的即興ゲームを演じている当事者は、ゲーム内部でルールを完全に知ることはない。集合的即興ゲームは、観察者から見たとき、そのつど規範を産出しているように見える。しかし、当事者の視点から見たとき、根底にルールなどというものはない。「ただ活動している」のである。

 以上のように、緊急救援活動を集合的即興ゲームの現場としてとらえてみれば、もはや救援活動のために緻密な計画を立てることや、参加者に共通の知識を与え、静的なルールを守ることを目指した活動だけでは、功を奏さないだろう。生生流転する規範のもとで、臨機応変に活動すること、そのこと自体に目を向けなければならない。

(渥美, 2001, p.38)







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