應典院のブログにも書いたとおりに、これから生中継である。取材をいただくのは、NHK大阪放送局の秋鹿アナウンサーである。10日の日に、たまたま立ち寄られたのがご縁で、このように中継をいただくことになったのだ。ご縁って、素晴らしい!
とりあえず、今回は短めだが、速報まで。ちなみに、14時半から来られて、16時半にカメラテスト、17時にスタジオからのリハーサルチェック、18時前に最終リハーサルをした上で、18時40分に待機、とのこと。放送は18時45分頃からの予定。どんな方にご覧いただけるか、ご縁の妙を楽しめることを願おう。
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2009年1月23日金曜日
2009年1月15日木曜日
詩の学校
思えば怒濤の2日間だった。体調不良のなか、少々の休養を取りつつ、應典院に対するもう一つの顔、同志社大学の教員として、修士論文提出に向けた指導を行っていた。今年度は論文の主査を2名分担当している。とはいえ、いきなり2名を担当するのではなく、一定期間、実践的研究計画の立案、進行、評価等々を、共に向き合ってきた共同研究者のようなものである。とはいえ、二足のわらじが影響してか、決して充分な指導が重ねられなかったのではないかと不本意な思いを携え、大いなる反省を重ねながら應典院に向かった。
同志社大学から急ぎ足で應典院に到着すると、既に「詩の学校」が始まっていた。毎月一回應典院で開催されている「詩の学校」だが、ちょうど1月の開催が防災・減災を取り扱うコモンズフェスタ開催中ということもあって、震災をテーマに詩作をする場としていただけないかと打診をしたところ、快諾をいただいた。ゆえに、今回は、「震災を、わたしの、わたしたちの、ことばとするまで」と題し、特別編として開催いただいた。企画提案者ということもあって、私も参加させていただいた。
知る人ぞ知る、のだが、大学時代、私は手習いのギターを携え、詞と曲をつくっていた。もちろん、青春時代であるから、恋だの愛だのを歌っていた。長渕剛と尾崎豊を基本に、Mr.Childrenのテイストを振りかけた感じ、とでも言えば、わかっていただきやすいだろうか。もちろん、それだけではなく、キャンプに行った際には、参加者からのことばをもとに詞と曲をつくり、終了前に披露するというようなワークショップも行っていた。
そんな私にとって、久しぶりの詩作であった。とはいえ、大学時代に行っていたのは「詞」であって、精確には「詩」でない。そんなか、コモンズフェスタでの防災と減災にアートで接近することにどのような意味があるのかについても考える時期と重なっていた。その場で朗読はさせていただいたものの、40分という与えられた時間のなかで作ったのが以下のものであるので、基本的には私の備忘録めいたものとして、ここに紹介させていただくことにしよう。
あの日の朝は 忘れない
京都の下宿で見た 神戸の映像
いつかの夜が 懐かしい
現地のテントで飲み 語った仲間
きれいにことばで まとめてみても
アートのチカラに たよってみても
あの日の朝は 語りえない
いつかの夜は 伝わらない
「詩という文字はね、「ごんべん」(言)に「てら」(寺)と書くのですよ」
だからお寺で 詩の学校
学校と言うけど 読み方 書き方は 教えてくれない
だけどお寺で 詩の学校
そこにあるのは 仲間と共に 過ごす場所
不親切が 心地よい
不親切が ちょうどよい
震災短歌をつくる先生がいるそうだ
伝えることでも 伝わることでもなく
ただ詠むことを こどもに投げかけるそうだ
無理にとは言わず でも無理をせずに
こどもたちは先生のところに 文字を運んでくるそうだ
あの日のことや いつかのことを
記憶をたどって 思いをつづって
忘れられない記憶があるのは
気づかぬうちに思い出すから
きっと思い出は脳ミソの中にあるのでなく
まるで動物的なセキズイの反射で思い出すから
あの日の朝は 忘れない
いつもの朝を よろこびたい
※上記の「震災短歌をつくる先生」については、今回の「詩の学校」において自己紹介の後に、朗読の素材として使われた新聞記事で知ったことである。また、書き方、読み方は教えてくれない、としているが、完成した作品を読むときに、(1)イメージを詠む(映像・風・色・季節などを思い浮かべる)、(2)紙を詠まない(身体ごと聞き手に向けて詠む)、(3)集中力を切らさない(肛門を締める)、など、具体的な点が指摘されている。
同志社大学から急ぎ足で應典院に到着すると、既に「詩の学校」が始まっていた。毎月一回應典院で開催されている「詩の学校」だが、ちょうど1月の開催が防災・減災を取り扱うコモンズフェスタ開催中ということもあって、震災をテーマに詩作をする場としていただけないかと打診をしたところ、快諾をいただいた。ゆえに、今回は、「震災を、わたしの、わたしたちの、ことばとするまで」と題し、特別編として開催いただいた。企画提案者ということもあって、私も参加させていただいた。
知る人ぞ知る、のだが、大学時代、私は手習いのギターを携え、詞と曲をつくっていた。もちろん、青春時代であるから、恋だの愛だのを歌っていた。長渕剛と尾崎豊を基本に、Mr.Childrenのテイストを振りかけた感じ、とでも言えば、わかっていただきやすいだろうか。もちろん、それだけではなく、キャンプに行った際には、参加者からのことばをもとに詞と曲をつくり、終了前に披露するというようなワークショップも行っていた。
そんな私にとって、久しぶりの詩作であった。とはいえ、大学時代に行っていたのは「詞」であって、精確には「詩」でない。そんなか、コモンズフェスタでの防災と減災にアートで接近することにどのような意味があるのかについても考える時期と重なっていた。その場で朗読はさせていただいたものの、40分という与えられた時間のなかで作ったのが以下のものであるので、基本的には私の備忘録めいたものとして、ここに紹介させていただくことにしよう。
アノヒトイツモ
2009.1.14 山口洋典
あの日の朝は 忘れない
京都の下宿で見た 神戸の映像
いつかの夜が 懐かしい
現地のテントで飲み 語った仲間
きれいにことばで まとめてみても
アートのチカラに たよってみても
あの日の朝は 語りえない
いつかの夜は 伝わらない
「詩という文字はね、「ごんべん」(言)に「てら」(寺)と書くのですよ」
だからお寺で 詩の学校
学校と言うけど 読み方 書き方は 教えてくれない
だけどお寺で 詩の学校
そこにあるのは 仲間と共に 過ごす場所
不親切が 心地よい
不親切が ちょうどよい
震災短歌をつくる先生がいるそうだ
伝えることでも 伝わることでもなく
ただ詠むことを こどもに投げかけるそうだ
無理にとは言わず でも無理をせずに
こどもたちは先生のところに 文字を運んでくるそうだ
あの日のことや いつかのことを
記憶をたどって 思いをつづって
忘れられない記憶があるのは
気づかぬうちに思い出すから
きっと思い出は脳ミソの中にあるのでなく
まるで動物的なセキズイの反射で思い出すから
あの日の朝は 忘れない
いつもの朝を よろこびたい
※上記の「震災短歌をつくる先生」については、今回の「詩の学校」において自己紹介の後に、朗読の素材として使われた新聞記事で知ったことである。また、書き方、読み方は教えてくれない、としているが、完成した作品を読むときに、(1)イメージを詠む(映像・風・色・季節などを思い浮かべる)、(2)紙を詠まない(身体ごと聞き手に向けて詠む)、(3)集中力を切らさない(肛門を締める)、など、具体的な点が指摘されている。
2009年1月12日月曜日
まとまりがない
体調が悪い。単なる風邪で、快方に向かっていると思いたいのだが、症状が日に日に変わるのが、しんどさを高めている。金曜日は喉の痛みに苦しみ、土曜日は止まらない咳に苦しみ、今日は鼻づまりに苦しんだ。鼻が詰まると、どうしても集中力が続かない。だからといって、避けることができないことも多い。
今日の朝、まず行ったのは、昨日コモンズフェスタに多く来場いただいた方々で、ブログを頻繁に書かれる方がどんな風に表現しているか、であった。うれしいことに、それぞれに、あたたかいことばがブログに綴られていた。この個人ブログはもとより、應典院のブログまでも更新が滞ってしまったことを考えると、それらのブログによる情報発信力は高いものではなくなってしまっている。それゆえ、頻繁に更新がなされているブログに掲載いただくということは、実にありがたいことである。
ともあれ、こうして多くの方に来場いただく機会をつくると、思わぬ再会をさせていただくことにもなる。例えば本日のタミヤリョウコさんのワークショップでは、以前、上町台地からまちを考える会の定例トークサロン「上町台地100人のチカラ!」のゲストにお越しいただいた金益見さんとお会いすることができた。自ずと、終了後に近況を話し合うことになるのだが、相変わらず精力的な活動に圧倒されてしまった。加えて、抱えている悩みが吐露できるということにも、さわやかさを感じた。
上町台地つながりで言えば、ワークショップ終了後、緑橋で開催されていた落語会の会場「燈」に顔だけ出させていただいた。体調が思わしくないことは、どうにも皆さんに伝わってしまうようで、「しんどそうね」と声を掛けられる。ちなみにこの「燈」という場所は、六波羅真建築研究室によるプロデュースである。本来であれば、そんな空間を存分に楽しめればいいのだが、好きなお酒や、美味しい食事を楽しむこともできず残念至極、ゆえにこの文章もまた、まとまりがない。
今日の朝、まず行ったのは、昨日コモンズフェスタに多く来場いただいた方々で、ブログを頻繁に書かれる方がどんな風に表現しているか、であった。うれしいことに、それぞれに、あたたかいことばがブログに綴られていた。この個人ブログはもとより、應典院のブログまでも更新が滞ってしまったことを考えると、それらのブログによる情報発信力は高いものではなくなってしまっている。それゆえ、頻繁に更新がなされているブログに掲載いただくということは、実にありがたいことである。
ともあれ、こうして多くの方に来場いただく機会をつくると、思わぬ再会をさせていただくことにもなる。例えば本日のタミヤリョウコさんのワークショップでは、以前、上町台地からまちを考える会の定例トークサロン「上町台地100人のチカラ!」のゲストにお越しいただいた金益見さんとお会いすることができた。自ずと、終了後に近況を話し合うことになるのだが、相変わらず精力的な活動に圧倒されてしまった。加えて、抱えている悩みが吐露できるということにも、さわやかさを感じた。
上町台地つながりで言えば、ワークショップ終了後、緑橋で開催されていた落語会の会場「燈」に顔だけ出させていただいた。体調が思わしくないことは、どうにも皆さんに伝わってしまうようで、「しんどそうね」と声を掛けられる。ちなみにこの「燈」という場所は、六波羅真建築研究室によるプロデュースである。本来であれば、そんな空間を存分に楽しめればいいのだが、好きなお酒や、美味しい食事を楽しむこともできず残念至極、ゆえにこの文章もまた、まとまりがない。
2009年1月11日日曜日
毎日新聞大阪本社大阪版:日常風景から「災害とは」
昨日取材を受けた内容が、本日の毎日新聞大阪本社発行大阪市内版に掲載されていた。署名記事で、中本泰代記者によるものだ。私にとって毎日新聞は、実家が講読していたこと、後輩の一人が(最近異動して)大阪本社で働いていること、さらにはレイアウトにこだわっていること、複数の理由があって、馴染みが深い新聞社である。以前はマイクロソフトと連携して、MSNに記事を配信していたが、関係解消の後には、自社のサイトで、地域版のニュースも公開している。
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090110ddlk27040351000c.html
取材をいただいたのは、昨日も触れたとおりに、新潟県小千谷市(旧・川口町)の塩谷地区の「超日常」を撮影した映像上映の企画についてである。大阪でアーツカウンシルをつくる会などで縁が深くなったremoの甲斐賢治さんたちによって、減災を考える「映像ドリル」に仕上がった。テレビ番組の映像に慣れた人々にとっては、今回の映像は「あまりに説明的でない」ため、大いなる戸惑いを抱くのではないか、と感じている。しかしながら、上記の記事において見事にまとめていただているように、「特別なことは何も起こらない」からこそ、「新潟県中越地震被災地の現在の風景から、自分たちの日常や、地震という非日常に思いをはせる」ことに、真摯な姿勢を持っていただければ、と願っている。
本日はコモンズフェスタ2008/2009会期全日程で進化型の展示をコーディネートいただいた小山田徹さんのトークイベントがあったことも重なって、多数の来場者に映像の鑑賞もいただいた。ここに掲載した写真には3人の人々が写っている。左端が京都橘大学の小暮宣雄先生なのだが、先生曰く、「座って見てると、空気感が伝わってくる」、と。また、座って見ておられる右端の方は、大阪市の現代芸術創造事業で密な連携を図っている「大阪アーツアポリア」の小島剛さんのだが、氏曰く「裸眼で見ている感じがする」、と。
上映させていただいている映像は12月23日、学術界における師匠、渥美公秀先生の協力によって、先述の甲斐さんによって撮影隊が組織されたことで収録することができた。また、3面のスクリーンによる効果的な展示を実現するには、ドット・アーキテクツの家成さんの創意工夫があってこそであることは言うまでもない。ここに謹んで謝意を表させていただきたく。最後に、そんなドタバタの中で準備したものの一つに、カーバイトを用いるアセチレンランプがあるのだが、それはまた、別の機会に紹介させていただくことにして、本日はそのランプにはじめて火が入ったことだけ綴っておくことにしよう。
(山口洋典)
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090110ddlk27040351000c.html
取材をいただいたのは、昨日も触れたとおりに、新潟県小千谷市(旧・川口町)の塩谷地区の「超日常」を撮影した映像上映の企画についてである。大阪でアーツカウンシルをつくる会などで縁が深くなったremoの甲斐賢治さんたちによって、減災を考える「映像ドリル」に仕上がった。テレビ番組の映像に慣れた人々にとっては、今回の映像は「あまりに説明的でない」ため、大いなる戸惑いを抱くのではないか、と感じている。しかしながら、上記の記事において見事にまとめていただているように、「特別なことは何も起こらない」からこそ、「新潟県中越地震被災地の現在の風景から、自分たちの日常や、地震という非日常に思いをはせる」ことに、真摯な姿勢を持っていただければ、と願っている。
本日はコモンズフェスタ2008/2009会期全日程で進化型の展示をコーディネートいただいた小山田徹さんのトークイベントがあったことも重なって、多数の来場者に映像の鑑賞もいただいた。ここに掲載した写真には3人の人々が写っている。左端が京都橘大学の小暮宣雄先生なのだが、先生曰く、「座って見てると、空気感が伝わってくる」、と。また、座って見ておられる右端の方は、大阪市の現代芸術創造事業で密な連携を図っている「大阪アーツアポリア」の小島剛さんのだが、氏曰く「裸眼で見ている感じがする」、と。
上映させていただいている映像は12月23日、学術界における師匠、渥美公秀先生の協力によって、先述の甲斐さんによって撮影隊が組織されたことで収録することができた。また、3面のスクリーンによる効果的な展示を実現するには、ドット・アーキテクツの家成さんの創意工夫があってこそであることは言うまでもない。ここに謹んで謝意を表させていただきたく。最後に、そんなドタバタの中で準備したものの一つに、カーバイトを用いるアセチレンランプがあるのだが、それはまた、別の機会に紹介させていただくことにして、本日はそのランプにはじめて火が入ったことだけ綴っておくことにしよう。
(山口洋典)
2009年1月10日土曜日
減災の身体性、はじまる。
應典院が防災を取り扱ったらこうなる、という総合文化祭「コモンズフェスタ2008/2009」が始まった。というか、年明け最初のブログが、本稿となる。景気よく年末に書きつづってきていたが、修論指導、除夜の鐘のお手伝い、実家への帰省等々で、滞ってしました。とはいえ、無理せず、気ままに、ええかっこしいにはならずに綴っていこうと決意したところなのだが、それはそれで開き直りとも思われるかも知れない。
ともあれ、その後、さらにバタバタしてしまったのが、本日開会の「コモンズフェスタ」の準備であった。間際のバタバタは、既に多くの方に「当たり前」のようになってしまっているが、今回は本当にバタバタだった。詳細は應典院のブログにも掲載しているが、機材トラブルは心臓に悪い。それでも、無事、開会には間に合ったので、よしとしよう。
初日のコモンズフェスタ、初っぱなから多忙を極めてしまったのは、多くの方のご配慮の賜物で、多方面からの取材等をいただいたことによる。まずは13時から2時間弱、毎日新聞の社会部の記者さんから取材を受けた。また、夕方のNHKラジオのニュース(17時代)で紹介をいただき、さらには2月から行われるレスキューストックヤードのパネル展の記者会見が大蓮寺の客殿で行われたので、その後、集団での鑑賞のお世話をさせていただいた。さらにはそのあいだに、NHK静岡放送局の記者から電話で取材を受けて、と、てんてこ舞いだった。
実はNHK静岡放送局の取材の後、またNHKラジオ第一での報道の後、他にも何人かの方々と打ち合わせをさせていただいていた。とりあえず、差し支えのない範囲で、それらの「後日談」を伝えておくと、NHK静岡放送局の記者は、私を、あるいは私の周りの出来事を朱会いされる、とのことである。果たしてどうなるか、また内容が明るくなったところでお伝えせていたくことにしよう。何よりどうぞ、應典院のコモンズフェスタにお越しくださいませ〜。
ともあれ、その後、さらにバタバタしてしまったのが、本日開会の「コモンズフェスタ」の準備であった。間際のバタバタは、既に多くの方に「当たり前」のようになってしまっているが、今回は本当にバタバタだった。詳細は應典院のブログにも掲載しているが、機材トラブルは心臓に悪い。それでも、無事、開会には間に合ったので、よしとしよう。
初日のコモンズフェスタ、初っぱなから多忙を極めてしまったのは、多くの方のご配慮の賜物で、多方面からの取材等をいただいたことによる。まずは13時から2時間弱、毎日新聞の社会部の記者さんから取材を受けた。また、夕方のNHKラジオのニュース(17時代)で紹介をいただき、さらには2月から行われるレスキューストックヤードのパネル展の記者会見が大蓮寺の客殿で行われたので、その後、集団での鑑賞のお世話をさせていただいた。さらにはそのあいだに、NHK静岡放送局の記者から電話で取材を受けて、と、てんてこ舞いだった。
実はNHK静岡放送局の取材の後、またNHKラジオ第一での報道の後、他にも何人かの方々と打ち合わせをさせていただいていた。とりあえず、差し支えのない範囲で、それらの「後日談」を伝えておくと、NHK静岡放送局の記者は、私を、あるいは私の周りの出来事を朱会いされる、とのことである。果たしてどうなるか、また内容が明るくなったところでお伝えせていたくことにしよう。何よりどうぞ、應典院のコモンズフェスタにお越しくださいませ〜。