應典院寺町倶楽部のニューズレター「サリュ」60号のインタビューでお世話になった方へのお礼を込めて、ランチをご一緒させていただいた。行き先は應典院から程近い、まちの洋食屋さんである。今後もお使いいただけるようにと100部をお渡しさせていただいた。第三者がとりまとめさせていただいたご自身のライフヒストリーを、ご本人に楽しんで読んでいただけると、編集者としての喜びもひとしおである。
今回はランチを食べながらではあったが、さしずめ私へのインタビューの機会にもなった。他愛もない問いが投げかけられるのだが、答えを戻すなかでは、私自身の人生の要所要所を振り返ることが求められていたような気がした。いみじくも、「考えることが習慣になっていて、苦痛なことではないのですね」という感想をいただいたのだが、確かに、考え抜いた結果ではなかったものの、日頃漠然と感じていることや、あるときに思ったことなども含め、自分の考えを伝えさせていただいた。ちなみに、質問の内容は、イチローについて、何かをするときに伴うしんどさについて、はたまた恋とは何か、など、極めて多彩であった。
その中で、「かっこいいと思う人はどんな人か」という投げかけに対し、ほぼ即座に「ライバル関係を持っている人」と応えさせていただいた。このことに、二重の意味で驚かれたようである。一つは、なぜ即座に自信を持ってこうした抽象度の高い問いに応えられるのか、もう一つは、そうした関係を私自身が持てているという実感が伝わったためであった。ライバル関係とは、一方的な羨みや妬みによるものではなく、あいつには負けたくないと闘争心を抱きつつ、どこかであいつを手本として学んでいこうという思いが双方のあいだで成立していなければならない。しかも、その関係が、年齢が離れたあいだにおいて、技術と経験の深度から構築できていれば、切磋琢磨しあえる可能性を持っている意味で、実に「格好」が良いのではないか、そんな風に考えていることを伝えせていただいた。
もちろん、私自身、「ええかっこしい」な自分を気取ってしまったり、一方で無様さを露わにしてしまうこともある。そのときこそ、自らの傲慢さや、相手の謙虚さを見つめる絶好の機会であり、ライバルやモデルを見いだすきっかけとなることもあろう。ちなみに来年度は「アクティベーション」ということばをキーワードに、より一層、人間関係の構築について、すなわちコミュニケーションデザインについて、より深く考え、そして丁寧に向き合っていきたいと考えている。少なくとも、多くの原稿が進んでいない無様さを赦していただいている皆さんへの謝意を覚えつつ、先般のインタビュー時には元気のなかった私を元気づけてくれたことへのお返しは、少しだけできたのではないかと思いつつ、この文章を綴ってみた。
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2009年3月27日金曜日
2009年3月22日日曜日
修了式
本日、同志社大学大学院総合政策科学研究科の修了式が執り行われた。この文章は、関連学部・研究科での修了式、研究科での学位記授与式、ゼミの懇親会、研究科での謝恩会、研究コースの懇親会が終了し、最終の新快速電車の中で綴っている。にしても、長い一日であると同時に、感慨深い一日だった。それは、自分自身が直接論文指導を担当した院生が輩出されたことが大きいのではないかと感じている。
本日、私の関連で修了したのは、総合政策科学研究科の中でも、ソーシャル・イノベーション研究コースの11人であった。無論、11人全てが、私の講義を受講していたわけではない。そのうち2名は私が論文の指導担当教員であった。とはいえ、これは本日確認したところであるが、私が指導を担当していた否か、あるいは私の講義を受講したか否かを問わず、概ね私は鬼軍曹のように、厳しい指摘を重ねる教員として位置づけられていたようだ。
それでも、2名の論文指導担当学生、すなわちゼミ生との懇親会の中では、私自身がいかに学生たちのフィールドに向き合ってきたかについて話させてもらった。端的に言えば、私がいかにして背負い込む覚悟を決めたか、自らの院生時代の指導内容等を紹介しながら伝えたのだ。そこでは、「そうですね」と流してしまえば片付けられることを、あえて「違う」であるとか「それがしたかったのか」であるとか、あるいは「そうは思わない」、といったことを伝えるには、相当の覚悟が必要なことを伝えた。
場面は変わって、ソーシャル・イノベーション研究コースの懇親会では、教員からのあいさつのなかで、自分自身が大学院修了の際に指導教員から伝えられた「自動車のライセンス」の比喩を、私なりにもじりつつ、はなむけのことばとして話させてもらった。大学院を修了するということは、一定、一人前の人物として認められた証であり、だからこそ、ペーパードライバーのままで終わらせたり(つまりは、大学院を修了しながら、実践や研究が継続されなかったり)、あるいは無謀な運転で事故を起こしたり(つまりは、横柄な態度で研究対象や実践の協力者や支援者に実害を与えたり)して欲しくはないことを伝えた。もちろん、伝えるだけは伝わらないので、少なくともゼミ生には、という思いから、現代美術の作家さんにお願いして、私からの修了記念品を渡させていただいた。ここで改めて、修了生の皆さんの今後の活躍を願うと共に、謙虚に、感謝の念を忘れることなく、現実に対して誠実に向き合っていただきたいということを記し、お祝いのことばとさせていただきたい。
本日、私の関連で修了したのは、総合政策科学研究科の中でも、ソーシャル・イノベーション研究コースの11人であった。無論、11人全てが、私の講義を受講していたわけではない。そのうち2名は私が論文の指導担当教員であった。とはいえ、これは本日確認したところであるが、私が指導を担当していた否か、あるいは私の講義を受講したか否かを問わず、概ね私は鬼軍曹のように、厳しい指摘を重ねる教員として位置づけられていたようだ。
それでも、2名の論文指導担当学生、すなわちゼミ生との懇親会の中では、私自身がいかに学生たちのフィールドに向き合ってきたかについて話させてもらった。端的に言えば、私がいかにして背負い込む覚悟を決めたか、自らの院生時代の指導内容等を紹介しながら伝えたのだ。そこでは、「そうですね」と流してしまえば片付けられることを、あえて「違う」であるとか「それがしたかったのか」であるとか、あるいは「そうは思わない」、といったことを伝えるには、相当の覚悟が必要なことを伝えた。
場面は変わって、ソーシャル・イノベーション研究コースの懇親会では、教員からのあいさつのなかで、自分自身が大学院修了の際に指導教員から伝えられた「自動車のライセンス」の比喩を、私なりにもじりつつ、はなむけのことばとして話させてもらった。大学院を修了するということは、一定、一人前の人物として認められた証であり、だからこそ、ペーパードライバーのままで終わらせたり(つまりは、大学院を修了しながら、実践や研究が継続されなかったり)、あるいは無謀な運転で事故を起こしたり(つまりは、横柄な態度で研究対象や実践の協力者や支援者に実害を与えたり)して欲しくはないことを伝えた。もちろん、伝えるだけは伝わらないので、少なくともゼミ生には、という思いから、現代美術の作家さんにお願いして、私からの修了記念品を渡させていただいた。ここで改めて、修了生の皆さんの今後の活躍を願うと共に、謙虚に、感謝の念を忘れることなく、現実に対して誠実に向き合っていただきたいということを記し、お祝いのことばとさせていただきたい。
2009年3月20日金曜日
スピード違反
久しぶりのブログ更新である。この間、全く書けなかった。書く気がしなかったわけではない。微妙な表現だが、ブログなるものを書く時間に意味を見いだせないでいた。なぜ、ブログを書くのか、そんな単純ながらに、明確の答えの出そうにない問いを自らに投げかけ、書かないことを正当化してきた。
コモンズフェスタが終わり、程なくイタリアに行った。龍谷大学の調査チームに入れていただいたのだが、これも書くことに、むしろ躊躇をしてしまう一因ともなった。日常の暮らしのリズムが全くもって乱れてしまっているなかで、わざわざ文字を綴る理由がどこにあるのか、という素朴な問いを抱いたのだ。それよりも、書く時間を誰かと話したり、呑んで騒いだり、あるいは読めていない本に目を向けたり、そうしたことに使った方がいいのではないか、などと考えてしまったのである。鬱状態、そういう言い方こそ安易だが、日々、小さな作業と、着実に対応すべき予定に向き合う中で、ブログには向き合えないままできた。
ところが本日、スピード違反で検挙された。オートバイで、59km/hで走っていたところ、制限速度が40km/hだから19km/hオーバーだという。急いでいるときにこそ、こうして止められるものだ。思えば昨年のこの時期は、自転車で激走した際に、自動車と接触して大怪我を負ってしまった。いみじくも、年度末という慌ただしい時期だからこそ、注意散漫になってはならないことを、出来事は違えど認識する時期となった。
そこで、もう一度ブログに向き合うことにした。写真は反則切符と納付書である。その後ろにあるのは、先ほど、大阪ガスの弘本さんからいただいた、新刊の刷り見本である。本のことはまた次の記事に書くことにして、再開記念の投稿を終えることにしよう。仕事も、暮らしも、無理のない安全運転で行こう、という決意を綴りつつ……。
コモンズフェスタが終わり、程なくイタリアに行った。龍谷大学の調査チームに入れていただいたのだが、これも書くことに、むしろ躊躇をしてしまう一因ともなった。日常の暮らしのリズムが全くもって乱れてしまっているなかで、わざわざ文字を綴る理由がどこにあるのか、という素朴な問いを抱いたのだ。それよりも、書く時間を誰かと話したり、呑んで騒いだり、あるいは読めていない本に目を向けたり、そうしたことに使った方がいいのではないか、などと考えてしまったのである。鬱状態、そういう言い方こそ安易だが、日々、小さな作業と、着実に対応すべき予定に向き合う中で、ブログには向き合えないままできた。
ところが本日、スピード違反で検挙された。オートバイで、59km/hで走っていたところ、制限速度が40km/hだから19km/hオーバーだという。急いでいるときにこそ、こうして止められるものだ。思えば昨年のこの時期は、自転車で激走した際に、自動車と接触して大怪我を負ってしまった。いみじくも、年度末という慌ただしい時期だからこそ、注意散漫になってはならないことを、出来事は違えど認識する時期となった。
そこで、もう一度ブログに向き合うことにした。写真は反則切符と納付書である。その後ろにあるのは、先ほど、大阪ガスの弘本さんからいただいた、新刊の刷り見本である。本のことはまた次の記事に書くことにして、再開記念の投稿を終えることにしよう。仕事も、暮らしも、無理のない安全運転で行こう、という決意を綴りつつ……。