本日、同志社大学大学院総合政策科学研究科の修了式が執り行われた。この文章は、関連学部・研究科での修了式、研究科での学位記授与式、ゼミの懇親会、研究科での謝恩会、研究コースの懇親会が終了し、最終の新快速電車の中で綴っている。にしても、長い一日であると同時に、感慨深い一日だった。それは、自分自身が直接論文指導を担当した院生が輩出されたことが大きいのではないかと感じている。
本日、私の関連で修了したのは、総合政策科学研究科の中でも、ソーシャル・イノベーション研究コースの11人であった。無論、11人全てが、私の講義を受講していたわけではない。そのうち2名は私が論文の指導担当教員であった。とはいえ、これは本日確認したところであるが、私が指導を担当していた否か、あるいは私の講義を受講したか否かを問わず、概ね私は鬼軍曹のように、厳しい指摘を重ねる教員として位置づけられていたようだ。
それでも、2名の論文指導担当学生、すなわちゼミ生との懇親会の中では、私自身がいかに学生たちのフィールドに向き合ってきたかについて話させてもらった。端的に言えば、私がいかにして背負い込む覚悟を決めたか、自らの院生時代の指導内容等を紹介しながら伝えたのだ。そこでは、「そうですね」と流してしまえば片付けられることを、あえて「違う」であるとか「それがしたかったのか」であるとか、あるいは「そうは思わない」、といったことを伝えるには、相当の覚悟が必要なことを伝えた。
場面は変わって、ソーシャル・イノベーション研究コースの懇親会では、教員からのあいさつのなかで、自分自身が大学院修了の際に指導教員から伝えられた「自動車のライセンス」の比喩を、私なりにもじりつつ、はなむけのことばとして話させてもらった。大学院を修了するということは、一定、一人前の人物として認められた証であり、だからこそ、ペーパードライバーのままで終わらせたり(つまりは、大学院を修了しながら、実践や研究が継続されなかったり)、あるいは無謀な運転で事故を起こしたり(つまりは、横柄な態度で研究対象や実践の協力者や支援者に実害を与えたり)して欲しくはないことを伝えた。もちろん、伝えるだけは伝わらないので、少なくともゼミ生には、という思いから、現代美術の作家さんにお願いして、私からの修了記念品を渡させていただいた。ここで改めて、修了生の皆さんの今後の活躍を願うと共に、謙虚に、感謝の念を忘れることなく、現実に対して誠実に向き合っていただきたいということを記し、お祝いのことばとさせていただきたい。
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