今年もまた、ブログが続かなかった。ブログだけでなく、Twitterも、Facebookも、である。2015年に始めた「1日1枚」は、今日まで2年続いてきたが、それらを活かすところまではできなかった。ちなみに昨年12月に新しいギターを買ったので、今年は1ヶ月に1曲作ろうと思いつつ、3曲程に止まった。
今年一番の変化は、2006年から勤めた應典院の主幹を退任したことである。研修制度のもとで大学院に行かせていただいた後、職場一本で奮起をと思ったところ、職場のボスが変わった2005年、その夏から秋にかけて「お寺で働かないか」と、秋田光彦住職に誘っていただいた。就任の折から10年の期待を寄せていただき、今年、その時がやってきた。十年一昔だ。
退任直後から5月まで、そして秋口に再開したブログは、應典院寺町倶楽部の会報「サリュ」の編集後記の形式に添ったものだ。611字という限られた分量で、記事の内容と世相とを繋いで綴る趣向を取った。編集後記に「アトセツ」とコーナータイトルが付されたのは、本堂ホールを表現の舞台とされてきた劇団の方々へのオマージュである。城田邦生さんの知恵だ。
来年、縁あって1年間、デンマークで学外研究に出る。春のブログが途絶えたのは熊本地震の支援の後だった。東北もまだ、復興の途上にある。そんな中で日本を離れるが、秋にブログが途絶えた日に東京で頂いた福島の飛露喜の味を、時に想い起こそう。
今年一番の変化は、2006年から勤めた應典院の主幹を退任したことである。研修制度のもとで大学院に行かせていただいた後、職場一本で奮起をと思ったところ、職場のボスが変わった2005年、その夏から秋にかけて「お寺で働かないか」と、秋田光彦住職に誘っていただいた。就任の折から10年の期待を寄せていただき、今年、その時がやってきた。十年一昔だ。
退任直後から5月まで、そして秋口に再開したブログは、應典院寺町倶楽部の会報「サリュ」の編集後記の形式に添ったものだ。611字という限られた分量で、記事の内容と世相とを繋いで綴る趣向を取った。編集後記に「アトセツ」とコーナータイトルが付されたのは、本堂ホールを表現の舞台とされてきた劇団の方々へのオマージュである。城田邦生さんの知恵だ。
来年、縁あって1年間、デンマークで学外研究に出る。春のブログが途絶えたのは熊本地震の支援の後だった。東北もまだ、復興の途上にある。そんな中で日本を離れるが、秋にブログが途絶えた日に東京で頂いた福島の飛露喜の味を、時に想い起こそう。
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