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2017年1月1日日曜日

良い年・よき歳に

 「よいトシを」と「よいおトシを」、この2つの違いにはあまり関心を向けて来なかった。「お」を付けた方が丁寧という意味で、「よいお年を」という表現を用いてきてきたように思う。言葉にはこだわりがあるという自覚がある。しかし、そのこだわりは単語の語源や、単語間の接続などに関心を向けて来た。
 今年の元日は法然院にお詣りし、梶田真章貫主の法話に参加させていただいた。「共に生きる〜絆と縁、愛と慈悲〜」と題した法話を伺うのは約1年半年ぶりだった。そのときは應典院のスタッフ研修でのお邪魔だった。そのときと同じく、法然院という場の力と梶田貫主によって説かれる法の尊さに感じ入った。
 新年の法話は、冒頭の問いかけから始まった。梶田貫主によれば、両者には「来年があなたにとって良い年に」と「良い歳で過ごせるように」との違いがあるとする。そこから新年を祝うことの意義が改めて問われた。そして、柳田國男さんが仏教を先祖教と指摘した背景に迫られた。
 お寺は家の宗教を、神社が地域の宗教を担ってきたと梶田貫主は説く。そこから、解脱、無我、執着、諸行無常、生死一如、生老病死、諦観、彼岸、涅槃、菩提心、縁起、一切皆苦、他力、極楽、弔い、祀り手、参り手、これらの観点から専修念仏の意味が説かれていった。新たな「お年」を願う背景には、皆が同時に年齢を重ねる数え年の文化がある。言葉と意味、行為と文化に拘る一年にしよう。

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