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2017年1月3日火曜日

実家は遠くなりにけり

お NHKの連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」の『あまちゃん』以来、地元ということばに敏感になった。劇中で「地元に帰ろう」と歌われるのだ。東海地震に警鐘が鳴らされてきた静岡県で18年過ごし、関西に住み始めた年に阪神・淡路大震災が起きた。未だ被災経験はないが、地元が変わり果てた姿になる日を想像するときが時々ある。
 三箇日の最終日、朝から地元に帰省した。昨年の今日は高校1年生のクラスの同窓会だった。その1年前には、高校全体の同窓会の当番年で、磐田市の合併10年を記念して作られた歌「ふるさと いわた」を覚え、皆で歌った。そんな故郷に、友人たちに日程を伝えずに帰省した。
 今日は父方の兄弟と母方の静岡県に住む兄弟、そして私の兄弟夫婦とこどもたちが実家に集まった。地元や実家、それらに「帰る」か「行く」か、歳を重ねるごとに、ささやかな迷うようにもなってきた。実際、今日は母から「いらっしゃい」と迎え入れられた気がする。昼の会食の後には懐かしい記憶を重ねながら散歩をしたが、まちの風景はやはり変わっている。
 出かける直前、この数日行方不明の小銭入れが見つかった。不注意を遺伝で片付けたくはないが、実家で過ごすと、何となく遺伝の要素もあるやに思う。中村草田男は昭和の時代を迎えるにあたって「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだ。私とっては「不注意や実家は遠くなりにけり」かもしれない。



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