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2026年2月9日月曜日

京都の真ん中でアメリカ風の喫茶店の角で待つ

立命館大学の成績登録の締切が近づいてきました。締切1日前にして、ほぼ完了の目処が立ちました。私が担当している立命館大学の科目は教養科目のみということもあり、試験のみでの評価は行わっていません。特に小集団科目では学びと成長のプロセスに関心を向けており、逐次提出された成績評価資料を根拠として、一人ずつ評価を定めていきます。

立命館大学では「レターグレード(Letter grade)」と呼ばれる方式でA+、A、B、C、Fの4段階での評価を行うのが基本です(https://www.ritsumei.ac.jp/pathways-future/examinations_grades/grade_evaluation.html/)。大学によっては素点を入力して、その点数に相当するレターグレードで評定される、という方式の場合もあります(私が近年担当した非常勤先では、大阪大学<2022年度〜2024年度>、京都大学<2023年度〜2024年度>、龍谷大学<2025年度>)。ちなみに立命館大学では成績発表後、成績発表日を含めて3日以内(土・日・祝日を除く)に「成績確認制度」(https://www.ritsumei.ac.jp/pathways-future/examinations_grades/notification_grades.html/)の申請ができるため、その場合に備えて成績評価資料をすぐに参照できるようにしておかねばなりません。なお、立命館大学では不合格を意味する「F(不合格のFではなく、FailureのF)の場合、成績証明書には記載されないという方針となっており、私の知る限りでは「助かる」という学生と「単位が取得できた科目だけが並ぶのがむしろ辛い」という学生と、それぞれの見方があるようです。


ということで、締切が厳格な成績評価の提出に目処が立ったということもあり、夜はまちへと向かいました。遠方からお越しの方との一献のため、でした。私は2月6日と心づもりをしていたのですが、先方のいくつかの調整もあって本日となりました。スターバックスがないまちからお越しなので、もしかしてご存じない場合のために「アメリカ風の喫茶店の角で待ち合わせしましょう、スターバックスというお店なのですが」などとお伝えしたところ、ピンと来られたようで「ああ、スターバックスね」と返ってきて、やや拍子抜けでした。

振り返れば私が学生時代から、30年ほどお世話になっているお店にお邪魔しました。私たち以外は皆さんお一人でお越しになられた方で、そのうちの一人は偶然にも学生だった私をそのお店に連れてきていただいたその人で、皆さん大将と女将との会話を楽しみにお越しになっていることがよくわかりました。私(たち)も少しだけ会話に混ざることがありましたが、それを前後して女将から若かりし私の様子を紹介いただく場面もありました。遠方からお越しいただいたお客さまにも、また大将・女将とも、またの再会を誓う一夜となりました。

2026年2月8日日曜日

法被姿の学生たちと

昨晩のうちに金沢に入り、朝から七尾市田鶴浜地区に向かいました。全国的な寒波の影響もあり、昨日は20時38分に京都を出て、22時39分には金沢に着いているはずが、運行径路が米原周りに切り替え(湖西線ではなく琵琶湖線経由)となったため、金沢駅には40ほどの遅延となりました。そのため、宿でチェックインを終えたのは23:30となったものの、前夜に参加させていただいた龍谷大学の白石克孝先生の退職記念パーティーでの知的な興奮も相まって、移動中の列車でも、そしてホテルの客室でも、修正を続けている11月のシンポジウムの原稿の整理に向き合いました。

朝は6時に金沢駅の「白山そば」での朝食で合流し、龍谷大学の大学院生と共に田鶴浜へと向かいました。昨年も田鶴浜の左義長に参加している大学院生ということもあって、何より2024年2月2日からの田鶴浜体育館での避難所運営をお手伝いするプロジェクトに当初から参加しているメンバーということもあり、ついつい現地に向かうあいだにも私からおせっかいな質問や助言を重ねてしまいました。現地に着くと、昨日に前日準備から参加していたお仲間の大学生たちの1人から、その大学生の様子を見て、「それで、ちょっとシュンとしてるんですかね?」と言われてしまいました。


田鶴浜の左義長は、七尾市の無形民俗文化財に指定されています(https://www.hot-ishikawa.jp/spot/detail_21862.html)。全国的には「どんど焼き」「どんと焼き」「とんど焼き」また新潟などでは「塞ノ神」や「賽の神」などと呼ばれている行事で、正月飾りのお炊き上げなどにより、無病息災を願うものです。「建具の街」で知られる田鶴浜は、正月は職人さんたちの繁忙期ということで2月の第2日曜日に行われるのが慣行とされている上、「御赦免(ごしゃめん)」と呼ばれる人形型で飾り付けられた竹を燃やすという特徴があります。今回は古民家を修復された新たな拠点「タツルエ」で、お祭りにあわせたイベント「タツルエ 冬も ヨバレンカ〜」(https://www.instagram.com/p/DTNOpmlkQcs/)が夏のお祭り(納涼祭)に続けて開催されていたのですが、そこでは御赦免は各家庭で作られているようで、家々の作り方がある、というお話も伺いました。

2022年2月15日の中日新聞の報道によれば、田鶴浜の左義長は「高校卒業後から三十七歳までの男性でつくる田鶴浜壮年会が担ってきた」ものの、地震の前から人口減少の傾向が顕著になってきたこともあり、2022年からは「田鶴浜区奉賛会が引き継ぎ、祭り運営委員会を設置」して継承に向けた工夫を図り、「各町会が協力し、地区全体で運営する形になった」とあります。(https://www.chunichi.co.jp/article/418338)昨年からは震災ボランティアで駆けつけた学生たちが、復興の先にある新しい日常に向けたお手伝いということで、左義長のお手伝いにもお邪魔するようになりました。今回は京都府立大学、東京大学、龍谷大学の学生16人と龍谷大学・立命館大学の教員が各1名、そして田鶴浜地区の地域おこし協力隊1名が入るグループLINEで頻繁にやりとりが重ねられました。一昨年は神社での開催がままならず、昨年は奉賛会のメンバーのみの開催だったものの、3年ぶりに8町内の協力のもとでの開催となったため、新聞各紙に加えて石川テレビの取材も入り、「能登半島地震から3年ぶり、七尾市田鶴浜で左義長復活 「復興に向けて大事な1年」と祈り」(https://www.fnn.jp/articles/-/999019)とテキストベースだけでなくYouTubeでも配信(https://www.youtube.com/watch?v=0Mux2lEot30)されています。

2026年2月7日土曜日

一流と一人前と

昨日のうちに、ある程度のデスクワークを進められたことから、今日はフィールドワークの日となりました。朝には昨晩までの仕事の内容に間違いがないか、確認の時間に充てました。特段のミスや不注意もなかったので、次の仕事のための段取りをつけた後は、荷物のパッキングを行いました。今日は昼前から外出して、そのまま金沢へと向かうためです。

お昼前からはフィールドワークと言いながらも、部分的にはノマドワークでした。まずは区役所に期日前投票に行きました。なかなかの混雑でしたので、一定の投票率は期待できるのかもしれません。有権者の方が、それぞれの権利を行使してもらえればと願うところです。とりわけ、シチズンシップ教育という観点から、模範的な市民としての態度の獲得をはじめ、社会や地域への参加を促してきている者として、投票権のある大学生たちの投票を期待しています。


投票を終えた後は昼食を取り、龍谷大学の深草キャンパスに向かった上で、コーヒー店にて原稿修正の作業をしました。15時から政策学部の白石克孝先生の最終講義があるためでした。白石先生とは、きょうとNPOセンターの運営委員としてご一緒させていただいたことに加え、私が大学コンソーシアム京都で勤務していた際にNPO分野のインターンシップを継続・発展していくための研究会に委員として参加いただいたことでご縁を深めさせていただきました。最終講義のタイトルは「龍谷大学人としての歩みを思い起こして—大学を変革の担い手とするために」(https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-17912.html)でした。

白石先生の最終講義は、龍谷大学に着任する直前に、母校(名古屋大学)の先生から伝えられた「一流にはなれかないかもしれないが、一人前に」というメッセージが今でもよく覚えている、というエピソードで始まりました。そして社会変革に貢献する上での大学の役割について、34年間の龍谷大学でのお仕事を振り返りつつ、お出会いした約30年前の雰囲気のまま、爽やかに語られました。終了後の退職記念パーティーにも参加させていただき、私にとっては懐かしい方々との再会の機会にもなったのですが、それ以上に企画された方々の気持ちが参加者にも十分に伝わる場で、あたたかい思いに包まれながら、金沢へと向かいました。今回、退職記念講義の企画・運営に携わった方々に感謝しつつ、何より白石克孝先生の今後のご健勝を切に願っています。

2026年2月6日金曜日

公への報せ

今日は終日、自宅でお仕事でした。猶予をいただいているシンポジウムの発言のまとめは終わりが見えてきました。ただ、それ以上に締切が厳格なのが秋セメスターの成績評価です。立命館大学は2月10日の正午が締切ということもあり、1科目ずつ、集中して進めていっています。

原稿の修正も評価資料をもとにした成績の評定も、共にパソコンで行うため、自宅で向き合う上では自分の都合で区切りをつけることができます。それゆえ、昼食や夕食が一つの区切りとなるように、時間を逆算して何をどこまで進めていくかを決めて進めました。昨日は外回りが多かったため、パソコン仕事があまり進みませんでした。一方で、今日はそれなりに見通しを立てることができました。


今日、自宅で過ごすことにしたので、期日前投票は明日に回すことにしました。本当は昨日に期日前投票に行く予定でした。ところが、かかりつけ医の診察待ちの時間が思いのほか長く、うまく回る時間を取ることができませんでした。そこで、明日のために「選挙のおしらせ」はがきを確認したところ、京都市選挙管理委員会では、選挙公報が全戸配布から新聞折込での配布となったことが大きく案内されていました。

京都市選挙管理委員会が選挙公報を新聞折込で届けることにしたのは、「参議院議員選挙における選挙公報の未配布事案」が発生したからでした。2025年9月24日の報道発表資料(https://www.city.kyoto.lg.jp/senkyo/page/0000346003.html)によれば、818,000部が用意されていたものの、7割程度しか配布がなされかった(廃棄部数からの推計では71.8%、102枚の業務日報に記載された部数の積み上げでは67.7%)と結論づけています。そして、配布を担った事業者が提出していた配布計画では「1日1人(6時間)1,000部の配布を想定し、当初787人の人員配置」で対応するとしていたものの、7月7日~18日とされた配布期間の「初日から配布が遅れ」たとのことです。これを受けて、今回の衆議院議員総選挙だけでなく、4月5日に予定されている「京都府知事選挙・京都府議会議員右京区選挙区補欠選挙」もまた、全戸配布ではなく、新聞折込を前提としつつ、ホームページでの閲覧、行政施設への備付け、そして希望者への郵送で対応(https://www.city.kyoto.lg.jp/senkyo/page/0000294980.html)とのことです。

2026年2月5日木曜日

モノと身体のメンテナンスデー

選挙が近づいています。時折、一方通行が多い自宅付近の道路を、候補者の名前を連呼しながら過ぎ去っていきます。なぜ名前ばかり言うのか、その根拠を探ってみたところ、公職選挙法(https://laws.e-gov.go.jp/law/325AC1000000100)において、「選挙運動のために使用する自動車又は船舶で停止しているもの」でなければ「街頭演説」ができないとされていることによると確認できました(第164条の5の3)。そもそも、公職選挙法では第140条の2で「連呼行為の禁止」が定められていますが、ここでは「選挙運動のために使用される自動車又は船舶」は「この限りではない」とされているため、走行中の選挙カーでは「演説」はできなないが、簡単な挨拶や候補者名や政党名を「連呼」することはできるからしている、そうした事情のようです。

小学生の頃からオーディオ機器のカタログを集めに電器屋さん周りをしていたこともあって、なぜ選挙カーのスピーカーは音質が悪いのかを気にしていた時期がありました。あくまで私見ながら、2014年末からの「自由と民主主義のための学生緊急行動:SEALDs」(http://www.sealds.com)による街頭演説くらいから、いわゆる路上ライブのような雰囲気も相まって、さらには機材の進化も重なって、聴き心地が変わってきたような印象です。ちなみに、同じ時期から、演説の際にスマートフォンを片手に語る人が増えてきたように思われ、近頃は学生たちのプレゼンテーションでもスマートフォンの文章を読み上げる人が多いのが気がかりです。ちなみに、テレビ大阪のYouTubeで「選挙に欠かせないメガホンの進化!」という動画(https://www.youtube.com/watch?v=phRvn4stwJs)があり、黎明期のトランジスタメガホンからの技術発展が、災害時における避難誘導設備につながった、と紹介されていて感心しました。


そうしてご近所に選挙カーが走り回る中、午前中から外回りをしました。まずはヤマト運輸の営業所で、メンテナンスに出すギターを発送しました。「ギター輸送用の段ボール(新品でなくても構いません)に入れ、中でギターが動かないように緩衝材(新聞紙でも構いません)を充填して」と指定いただいたため、しかるべく準備しました。その後、かかりつけ医に行って、さらにはジムと、奇しくもモノと身体のメンテナンスデーとなりました。

午後から夜にかけてはデスクワークとなりました。メールの返信に加え、少し猶予をいただいた原稿の修正の他、年度末の出張に関する各種手配を行いました。夜には新潟県小千谷市塩谷集落の前町内会長からお電話があり、昨秋に解体となった地域の交流拠点に関する記念誌作成について、報告と相談をいただきました。塩谷集落は3mを越える積雪となっているようで、3月末にお邪魔する際には諸々の作業や調整を首尾良く整え、春の訪れと共に喜んでいただければと願っています。

2026年2月4日水曜日

どこに力を入れるか

水曜日ということで、今日は恒例の英語のレッスンでした。今日のお題はNATOとグリーンランドについて、でした。NATOはNorth Atlantic Treaty Organizationの略で、日本語では北大西洋条約機構と訳されます。しかし、米国の大統領がグリーンランドを購入したいと表明し、必要なら武力でも奪取する、と発言したことを受け、North America Treaty Organizationのような見立もできてしまうのではないか、そんな話題になりました。

1時間半のディスカッションの中で、政治家の外交に対する姿勢の分類について触れる時間がありました。今回のディスカッションの手がかりとした記事(https://www.nytimes.com/2026/01/23/opinion/trump-greenland-nato-europe.html)の著者の姿勢が国家間の権力闘争の上では軍事力の行使によって紛争の解決の手段であるとする「realism(現実主義)」とすると、その対極にあるのが他国との軍事同盟などは避けて自国のみでの安全保障を優先する「isolationism(孤立主義)」や「hegemonism(覇権主義)」だ、とされました。この両極のあいだに、realism側に位置づくのが武力介入の上では思想や理想が優先されるとする「Neo-conservatism(新保守主義)」、isolationism側に位置づくのが自由主義的価値観のためには多層的な手段により接近することとして軍事介入も容認するという「liberal interventionism(リベラル介入主義)」、そうした位置づけのもとで、国際関係について捉えていくことになりました。世界情勢が揺れ動く中、2月8日の第51回衆議院議員総選挙ではどのような結果が出るのやら、です。


英語の後はクラスのお仲間の皆さんとランチをして、京都に戻りました。途中、京都市役所近くのお店で買い物をしました。その途中、バス停と電話ボックスのあいだに、小さなベンチのようなもの置かれているのに気づきました。ベンチとしても使えると思われますが、家庭用のスチールラックで作られたもので、なかなか年期が入っていることが、全体の錆から伺えます。背もたれ部分と座面の前側には「京都市役所前駅周辺案内板」とあり、よく見れば2004年に作成されたもののようです。

今日の買い物は、今週末にお邪魔する七尾市無形文化財「田鶴浜の左義長」(https://www.hot-ishikawa.jp/spot/detail_21862.html)へのお土産でした。正確にはお土産というよりは、現地の方からのリクエストに基づくお使いでした。具体的には、お店と商品名もご指名の上で、かりがねほうじ茶を購入しに伺いました。京都に住んでいながら、これまで買うことがなかったのですが、また私も味わせていただけることを楽しみにしています。

2026年2月3日火曜日

最後まで手を入れる

今日の朝は千里阪急ホテル(https://www.hankyu-hotel.com/hotel/hh/senrihh)で迎えました。昨日、民族学博物館を訪問した後、自宅には戻らなかった、という具合です。以前、関西にお迎えしたゲストの送迎で訪れたことはありましたが、宿泊するのは初めてでした。秋の夜にお連れしたこともあり、そのときには既に辺りは暗くなっていたものの、落ち着いたホテルという印象だったことはよく覚えています。

千里阪急ホテルは2026年3月30日の宿泊をもって閉館(https://www.hankyu-hotel.com/hotel/hh/senrihh/contents/finale)となります。現在の浦辺設計による設計(https://www.urabesekkei.jp/projects/203/)で、1970年の大阪万博とあわせて開業した当初の建築は浦辺鎮太郎さん、1976年に増築された宴会場と1984年に新築された西館はお弟子さんの松村慶三さんによる設計(https://data.shinkenchiku.online/projects/articles/SK_1985_03_216-0)です。今回が最初で最後の宿泊になると判断して、できる限り当初からの雰囲気に浸ろうと、東館のラグジュアリーツインのタイプを選択いたしました。予約の後、記念グッズのプレゼントに加えて、希望者には実際に使用されたルームキーホルダーが閉館後に郵送される「フィナーレグッズ付き宿泊プラン」(https://www.hankyu-hotel.com/hotel/hh/senrihh/contents/finale/stay/)が設定されていたことを知りました。


チェックアウトの前、ふと中庭を見渡すと、丁寧にお花の手入れをされている方が目に留まりました。カメラや車などの工業製品については型番や型式番号などで語ることができるのですが、こと花の名前には弱い私は、写真を生成系AIにアップロードすることで、丁寧にお手入れをされているのが紫のキンギョソウということがわかりました。そして、お庭の手入れだけでなく、昨夜に晩ご飯をいただいたカフェ&バイキング「シャガール」のスタッフの皆さん、さらにはフロントの方、などなど、全てのスタッフの皆さんが最後の最後まで、ホスピタリティあふれる対応にあたっておられることが深く伝わってきました。映画「タイタニック」でも組み込まれていた、沈みゆく船で最後まで演奏していた音楽家、ウォレス・ハートリーさんの逸話(https://ja.wikipedia.org/wiki/ウォレス・ハートリー)を引き合いに出すのは適格な比較ではないかもしれませんので、災害ボランティアにおける村井雅清さんの「最後の一人まで」(https://ngo-ayus.jp/activity/award/2024murai/)の姿勢に重なるように思われます。

あたたかい気持ちに包まれて自宅に戻った後、夕方からは立命館守山高等学校と立命館大学との高大連携による令和6年能登半島地震の支援についてのZoomミーティングでした。昨年末、12月23日から24日にかけて、現地を訪れたプログラムに続いて、2月ないし3月にも訪問できないか、という可能性を追求することになりました。23日は輪島市門前町の黒島地区に、24日には七尾市田鶴浜地区に(https://cms.ishikawa-c.ed.jp/taturh/plugin/bbses/show/80/91/462#frame-91)、それぞれ訪れました。極めて短い時間での調整となりますが、田鶴浜高等学校の皆さんとの交流も継続できれば、という声も出たので、ぜひ、細くとも長く続く関係が広がればと願っています。

2026年2月2日月曜日

請われれば一差し舞える人物に

今日は午前中に立命館大学地域健康社会学研究センターの研究会でした。話題提供は明治国際医療大学看護学部の大倉和子先生でした。テーマは「保健師の実践知の継承ー災害時の保健活動にふれながら」 で、長年にわたる保健師としてのご経験のもと、コロナ禍に大学院に進学して展開した実践的研究の内容が報告されました。西日本豪雨災害での保健師の皆さんの取り組み、日本看護系大学協議会の災害支援対策委員会による2023年度「災害に関するアンケート調査」(https://doi.org/10.32283/rep.746f53af)の結果概要報告、さらには保健師の皆さんが地域活動を積み重ねた後に多様な関係構築が図られることで中堅から熟達を遂げてマネジメント能力を獲得していくという成長プロセスの解説など、多岐にわたるものでした。

研究会の後には、国立民族学博物館に向かいました。1月22日に続いての訪問ですが、今日は私も図書室まで入りました。立命館大学は国立民族学博物館のキャンパスメンバーズ(https://www.senri-f.or.jp/minpaku_associates/about/campus_members/)となっているため、展示の無料観覧ができるものの、図書室に行くときには1階の受付で「来客」としてのカードを発行いただきます。また、そもそも国立民族学博物館は万博記念公園の有料区域内にあるため、ゲートの有人窓口で大学のID(学生は学生証、教職員は教職員証)で渡される「公園通行証」を首にかけて入らねばなりません。


公園通行証・教職員証・来客証、これら3つを携えながら、国立民族学博物館の図書室では初代館長である梅棹忠夫先生の業績に触れさせていただきました。私が担当する立命館大学教養C群科目「現代社会のフィールドワーク」では、授業の最後回(2024年度までは第15回、2025年度からは第14回)で2008年3月23日に放送されたNHK教育テレビ(当時)のETV 特集「フィールドへ! 異文化の知を拓く~国立民族学博物館の30年~」(https://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2008/0323.html)の内容から、フィールドワークの特徴について紹介しています。この番組では鷲田清一先生も出演されており、「深く付き合うほど、交われば交わるほど、お互いのあいだの差異がもう細部にわたって際だってきて、あれ、同じものを見ているのに、あるいは同じ場所にいるのに、この人、こんな風に感じるのか」という具合になるのが異文化理解を深めるということ、と語っておられます。

その後、夕方にはこの夏の大船渡での「盛町灯ろう七夕まつり」への立命館大学の関わりについて、令和7年度の実行委員会の皆さんとやりとりすることになりました。2012年から継続して関わってきたお祭りですが、来年度は私が学外研究のため、業務で携わることができません。2017年度にデンマークでの学外研究を担った際には、サービスラーニングセンター内での調整ができたのですが、来年度はそれがままならず、相当の工夫を重ねなければなりません。グループLINEにて即座にお返事をいただいた内容を見返す中で、震災直後にTwitterで目にした2011年3月24日に開催された大阪大学の「平成22年度卒業式・学位記授与式 総長式辞」(https://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/president/files/h23_shikiji.pdf)のことを思い出し、さらに、その中で梅棹先生の遺された「請われれば一差し舞える人物に」と紹介されていることを改めて確認し、こんな私でもできる最大限の貢献をしようという衝動に駆られました。

2026年2月1日日曜日

50での誓い

6人が参加する「関西組」と名付けられたLINEのグループに入っています。共通するのは高校時代のお仲間で、今、関西に住んでいることです。3年間のあいだ、全員が同じクラスになったことはないものの、例えば同じ塾に通っていた、といった具合に、何らかのつながりのもとでスキーツアーに行ったりした友人たちです。卒業後も何度か会うことがあり、電話やメールやショートメールなどでやりとりして日程調整などがなされていましたが、今はグループLINEでつながっています。

今日はそのお仲間での久々の飲み会でした。場所は各所から出やすい梅田となりました。2日前までは18時30分開始の予定だったものの、「せっかくなので」と、16時スタートに変更となりました。過去の写真を確認すると、以前に同じメンバーで集まったのは2016年1月24日で、ほぼ10年ぶりの再会でした。



会計を終えてお店を出たのは21:30ごろでした。約5時間半、日本酒をちびちびと飲みながら、この10年を、また約30年前の高校時代を、さらにはこれからの人生についておしゃべりしました。10年前に子育ての奮闘を語ったお仲間からは、既に働き始めている、大学に在学中、中学・高校に通っている、それぞれの成長が語られました。一方、こどもがいない人は、仕事のこと、また健康のことなどを語りました。

会計の直前、全員が50歳を迎えてはいないものの、50歳をどう過ごすかの誓いを立てることにしました。(お仲間の1人が100円ショップで5と0のロウソクを探したものの、奇しくも売り切れだったようです。)具体性の度合いは異なるものの、それぞれに新たな挑戦や自分に正直に生きていくことへの決意が述べられました。次は10年後ではなく、また近いうちに、ということになりました。来年度、私が能登で過ごす時間が多いこともあり、能登で会いましょう、という流れになったので、そのときを楽しみにしています。