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2007年2月1日木曜日

芸術創造拠点と自治体文化政策

 大阪に「アーツカウンシル」をつくろう、という動きに関わっている。具体的には、先般1月11日に提出された「大阪市の創造都市戦略における芸術文化の果たす役割の再考を願う嘆願書」の発起人として参加した。最終的に22団体、68名、計90組が名乗りを上げた「嘆願書」は、「芸術文化評議会」という名称で、アーツカウンシルの設立を提案する。ここで「アーツカウンシル」とは、「行政からはある程度の距離を保ち芸術文化表現の独立性を保ちつつ、官民恊働で施策を検討・実施していく機関」(同、嘆願書より)とされている。

 「アーツカウンシル」の設立を呼びかけた嘆願書は、佐々木雅幸さん(大阪市立大学社会人大学院創造都市研究科教授)、平田オリザさん(大阪大学コミュケーションデザイン・センター特任教授)、原久子さん(大阪電気通信大学教授)の3名によって市長に手渡された。そもそも、なぜこうした嘆願書が提出されるに至ったかというと、現在大阪市は「経営企画室」が窓口となって「創造都市戦略」と題した市政改革方針の策定を進めているためである。最近「パブリックコメント」なる制度が各方面で投入されているため、この「創造都市戦略」も「大阪市電子申請」というウェブページから意見を伝えることができた。が、それでは伝えきれないと思いがある、ということで、私の知り合いたちが草案をつくり、結果として「嘆願書」としての提出に至るのであった。

 今年度より大阪の文化政策に関わってきているが、この間、いくつか感じること、思うこと、考えることがある。率直に、しかしやや抽象的に、「配慮の過不足」があると表現をしておこう。とりわけ「過」な部分は自治体内に、一方で「不足」は現場に、という方向がありそうだ。もちろん、大阪市の「現代芸術創造事業」を受託しているので、自治体文化政策に直接触れている身としては、最大限に現場の意向を汲み取っていただき、事業の執行や予算の獲得にあたっていただいていることも触れておかねばなるまい。

 魅力的な都市というのは、人々が集い、そこにそれぞれの思いが弾け、多くの人の息づかいが都市の躍動感となって昇華しているのではないか。少なくとも應典院のキャッチコピー、「人が、集まる」「いのち、弾ける」「呼吸する、お寺」というのは、地域資源としてお寺が果たす役割を自戒していることを伝えることばであると言えよう。そうしたお寺で働いているのもあって、本日、「嘆願書」提出の報告会と、嘆願書の提出名義である「大阪市の『創造都市戦略』における芸術文化の果たす役割の再考を願う市民の会」の解散式、そして「大阪にアーツカウンシルをつくる会」の設立に向けた意見交換に参加してきた。何より、こうした動きをつくっていこう、という人たちとの話が、もっとも創造的な場である、と、最終の京阪電車の特急列車に乗りながら思うのであった。





芸術創造拠点と自治体文化政策:京都芸術センターの試み

第1章 芸術創造と自治体の役割(抜粋)




 「文化」は、受け継がれる文化としての「生活文化」と、芸術・学術・技術の文化や非日常文化、未来を切り開く文化(社会を創る文化)であるところの「創出文化」に分かれていて、芸術は「創出文化」領域のなかのほんの一部を占めるものに過ぎない。筆者は「日常的な生活文化」の先端部分として「非日常的な芸術文化」があると考えている。どちらも大切なものだが、「生活文化」と「創出文化」(芸術)は、政策を論議するうえで、混同してはならない。

 筆者が本論で題材とする「文化政策」とは、狭義の芸術政策のことである。生活文化の隆盛、発展はもとより期待するところだが、自治体が公金を投入して政策を展開する以上、マーケットが形成された生活文化よりも、市場が形成されていない芸術への支援が大切であると考えているからだ。

 人々の会話や行政職員のなかでも、芸術と文化が混乱しているケースが多々みられる。今後は、「芸術文化」と呼ぶ場合は非日常文化である芸術を強調し、「文化芸術」もしくは「芸術・文化」と呼ぶ場合は「文化と芸術と」と並列して考え、日常文化+非日常文化の総称として理解していいのではないか。

 しかし、芸術文化と生活文化を分断することを主張している訳ではない。芸術文化と日常文化が互いに作用しあうべきである、と考えている。



松本(2006) pp.14-15