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2007年2月15日木曜日

地域社会に貢献する大学

 最近、本当にいくつかの業務を引き受けすぎている。自覚があるということは相当のことだと思う。なぜそこまでやるのだ、と問われても「ほっとかれへんから」と、インチキ関西弁を使って応えている。阪神・淡路大震災の折に「なぜボランティアをするのか」という多くの人たちの問いに対して早瀬昇さんがそう応えているのだが、この挿話はまた、私自身が震災時も、またその後も人と関わり、地域社会と関わっていくことを説明する論理となっている。

 ちなみに、今日は、現在引き受けている「いくつか」のうち、第9回日本アートマネジメント学会運営委員会が應典院で開催された。私は第9回日本アートマネジメント学会運営委員会事務局長に着任している。既に今、第8回国際ボランティア学会実行委員長と第9回日本NPO学会運営委員とあわせると、3つの学会の委員をさせていただいている。ややくどい物言いになってしまうが「学会」とは「学術会議」のことで、一定の用件で公開された場において、最新の知見を研鑽する機会とする必要があるため、多くの人々の創意工夫のなか、年間1回以上の「研究大会」が実施される。

 いみじくも、最近関わりのある学会の大会は、8回目ないし9回目と、この10年の間に設立されている。そしていずれの学会にも「理論と実践」の両面に重きを置こうという風潮がある。ここに、学問的知見とは、閉じられた世界に完結するものではなく、実践のなかから紡ぎ出され再び実践に還元されてしかるべし、という力学を見て取ることができる。こうして学会の役割も変わってきているのであるから、研究者も、また大学(高等教育機関)の役割も、同時に変化してきていると言ってよい。

 そこで、研究者、また大学に求められるのは、実践の現場において当然とされている習慣や規範に対して注意を払うということだ。大学の常識は世間の非常識、と前職の職場でよく聞いていたので、とりわけ何かに貢献するには、その貢献する先のことがわかっていなければ難しいのではないか、という問いを携えてみることにする。そうすると、自ずと「地域社会に貢献する」には「地域社会のこと」がわかっていないといけないという視点が生まれるし、「会議に貢献」するには「会議のメンバーのこと」がわかっていないといけないということになる。こんなことは常に考えることはないのだが、ちょうど理論と実践の架橋を想定内とする学会の運営委員会において、「会議に対する最大限の貢献をする」という雰囲気(規範)があまり生み出せなかった運営委員長として反省の念を抱いたため、ここにこうした雑記を遺しておきたい。





地域社会に貢献する大学

1 序論(抜粋)




 大学はこれまでも地元地域に対し、経済的、社会的に広範な貢献をしてきたといえるであろう。例えば、職業関連以外の教育、地元企業への研究支援、公開講座、コンサート、博物館や美術館の開放などがそうである。それに対して、現在の現象の特徴はこれらの活動を主要機能である教育や研究と同等であるのみならず、それらと統合された「第三の機能(third role)」として認知するということである。

 地域特有の需要に応えるには明らかに高等教育は新たな資源と新たな指導・経営形態が必要となる。それらにより、大学は地域の顧客が必要とする知識・技術に関するシンクタンク、ならびにそれらの提供者となりうるのである。地域と関わることにより、大学は一部の高等教育政策により生まれつつある「対応性の高い大学」(responsive university)の特性を多くもつことになる。



(OECD, 1999=2005, p.16)