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2013年8月2日金曜日

祈りでも、叫びでもない、告白としての詩

例年、お盆の時期は、應典院の本寺「浄土宗大蓮寺」で開催される「詩の学校特別編」で迎えている。「それから」と題して掲げられるこの催しは、今年で12回目という。これは、毎月1回、水曜日の夜に、應典院の研修室Bにて開催されている上田假奈代さんによるワークショップの一環である。そして、この時期だけは、変則日程で開催されるのだ。

まず、18時半から大蓮寺の本堂で、秋田光彦住職による法要と法話が行われ、続いて大蓮寺の墓地にて詩作と朗読が行われる。雨の場合は、大蓮寺の墓地が應典院の「気づきの広場」から見渡せることもあって、應典院にて開催されるのだが、私が應典院に着任した2006年以降は、雨にあたったのは1回限りで、後は墓地で言葉が紡がれてきたように思う。ともあれ、墓石のあいだに蝋燭を入れたグラスが置かれ、わずかな灯りを頼りにしながら、それぞれが死を思って、詩をしたためる、それが「それから」である。今年の参加者は男性8人、女性5人の13人で、例年よりも少し、少ない目であった。

「それから」では、「住職の法話」と、「法話を受けて詩作の方法を説明する際の(上田假奈代さんによる)講話」、そして各々の「詩作と朗読」と、3つの場面で言葉が重ねられる。本日の法話は、この春に住職が末期ガンで今生を終えた方からの呼びかけで病室に訪れた折、生命の「終わり」のための準備を重ねても、いのちに「終わりはない」ことを互いに見つめ合った、という挿話から、「生死一大事(しょうじいちだいじ)」が説かれた。これを受けて、上田さんは、2年前に飛び降り自殺をしたという、かつての「詩の学校・京都校」に参加していた方のお兄さんが編纂し、このたび届けられたという、その方が遺した詩集『さきにいくよの「まえがき」が朗読された。上田さんの艶のある朗読で、「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」などの一節が紹介されていくと、まるで、亡くなったご本人が、この世には不在の彼に「今・ここ」で呼びかけている場面に立ち会っているかのようで、何人かは感極まり、むせび泣いていた。

墓地での詩作は1時間程度で、その後30分以上かけて、それぞれが紡いだ言葉を全員を前に読み上げていった。それぞれに「リアルな死」と「リアルな生」を織り交った物語が編まれていくのだが、今年、特に印象に残ったのが、3年ぶりに参加した方の詩である。リフレインが繰り返されることで、情緒を醸し出したその詩は、「祈りでもなく、叫びでもなく」、自らの思いを家族に告白する、ある意味で激しく、ある意味で静かな、感謝と敬愛に包まれた詩であった。今年もまた、よい時間を共にさせていただいたことに、感謝と敬愛の思いをここに綴らせていただきつつ、紡がせていただいた駄文を、自らの備忘のために記させていただくこととしよう。


いのちに灯火の比喩を
今日、セミが死んでいた。
1週間のいのちを尽くして生き抜いた姿は
電柱の脇に寄せられていた
その上で、セミたちが泣いていた。

グローバル社会と言われる中では、風物詩や旬を意識しなくなってきるようだけど、
目を閉じて、耳をすまして、立ち止まって、まわりを見渡せば、
変わらない毎日と思う日常生活の只中に、
無数の死と生と、罪深くいのちをいただいて生きる人間の業と、
けなげに行き抜いたいのちの痕跡を見いだすことができる。

例えば、あの日、まちは死んだように思われた。
KOBEからは6772日、TOHOKUからは875日が過ぎたが、
一変した風景に立ち尽くしたとき、
その横で、常に、人が泣いていた。

風に揺れ、消えゆく蝋燭の灯りと、
壁を越え、射し込む駐車場のLEDと、
2つの灯りが墓場の石柱にあたる中で、
今日もまた、いのちに灯火の比喩を思い、お盆を迎えている。