2013年9月1日は、関東大震災から90年にあたる。そんな日に、立命館大学衣笠キャンパスで開催された、日本質的心理学会第10回大会の会員企画シンポジウム「ポスト3.11震災社会の現在・未来:今から私たちがなすべきことは?」を聴講した。企画者は茨城大学人文学部の伊藤哲司先生、京都大学防災研究所の矢守克也先生、熊本大学教育学部の八ッ塚一郎先生であった。伊藤先生は存じ上げないものの、矢守先生と八ッ塚先生は、日本グループ・ダイナミックス学会で長らくご一緒させていただている上、私の師である渥美先生と共に、杉万俊夫先生のもとで、阪神・淡路大震災から積極的にアクションリサーチをされているので、大きな期待と共に参加させていただいた。ちなみにシンポジウムは3名の話題提供のもと、伊藤先生、八ッ塚先生、矢守先生の順にコメントが寄せられ、3つのグループに分かれて意見交換の後、全体で意見交換をする、という流れで進められた。
茨城大学の伊藤先生は、「東日本大震災は現在進行形の問題」と、議論に含みを置いた。それを受けたところもあるかもしれないが、八ッ塚先生は吉村昭さんが『関東大震災』『三陸大津波』など、一人の作家が一定の時間をかけて監修することによって、はじめて〜であり、「〜すべき」といった断定的な表現はふさわしくなく、だからといって沈黙するのも適切ではなかろう、と、緻密な議論へと牽制した。これに呼応するかの如く、矢守先生は「東日本大震災の○○学」と「○○学の東日本大震災」との標記の違いに、前者には出来事に対する外在的な姿勢を、後者には出来事に対する内在的な責任を見て取れると、学問分野の違いに注意を向けた。こうして、ここに生きる人々の、東日本大震災という現在進行形の問題への問いを掘り下げていく議論への準備がなされたのである。
私は、話題提供者の一人である、京都光華女子大学の鮫島輝美さんと、八ッ塚先生とのグループに入り、「アクションの主体をリサーチの対象化とすること」について掘り下げていくことにした。ちょうど、鮫島さんが、パトリシア・アンダーウッドさんによる「サイバイバー・ギルト(罪)」と「サバイバーズ・シェイム(恥)」の対比を紹介したためでもある。また、私もまた、2011年3月25日の、大阪大学卒業式・学位授与式での鷲田清一先生の式辞は、何度も引用しているが、その中にある「生き延びた」ではなく「生き残った」という感覚に見られる、「被災しなかったこと、あるいはそれがごく少なかったことへの申し訳のなさのようなもの」、すなわち偶有性を伴う罪悪感について、引っかかりがあったためだ。このことはまた、改めて論じてみることにするが、10人ほどのグループでの議論を通じて、何か(それこそ、鷲田先生の仰る「隔たり」)を感じたとき、まずは行為を「する/しない」で峻別され、その結果において「できた/できなかった」の判定がなされるとき、罪と恥のいずれかが去来するのではないか、と考えた。
阪神・淡路大震災から5年を経て出版された『ボランティアの知』に感銘を受け、渥美公秀先生のもとで学んだ私は、震災を研究する際には「リサーチとなるかどうかにかかわらずアクションを進める」ことが重要という感覚が浸み渡っている。この点を踏まえつつ、今日のシンポジウムでは、「アクションがリサーチになった」と言える指標として、八ッ塚先生が触れた、「セザンヌの色彩感」(modelではなくmodulate、つまり「写す」のではなく「転調」するということ)が参考になると、妙に腑に落ちた。ちなみにこのコメントに続いて、矢守先生は「フランス革命」を引き合いに出し、「アクションが出来事の一部になる可能性」(バスティーユ牢獄に向かった一人ひとりにとっては革命の担い手になったという自覚はなく、ちょうど、吉村昭さんのような仕事により、後にトータルに特色づけられるということ)を指摘した。渥美先生のもとで学び、今は災害研究の分野で一番弟子と言えるであろう宮本匠くんは、「めざす」復興と「すごす」復興とのあいだで、研究者の向き合うモードが違うと指摘するが、私はそこに加えて、何を「のこす」のかという観点を加え、研究では文字を遺さないといけない中でも、現場では約束を遺すことの大切さを、今後も掘り下げていくこととしたい。