「日本の諺言に「過去は水に流す」という。過ぎ去った爭いは早く忘れ、過ちはいつまでも追求しない。その方が個人の、または集団の、今日の活動に有利である、という意味である。しかしその事の他面は、個人も集団も過去の行爲の責任をとる必要がない、ということを意味する。」
これは加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2007年)の「まえがき」冒頭部分である。この直筆原稿から作成されたロールスクリーンが、立命館大学衣笠キャンパスの新図書館にある。2階の南側、白川静文庫に並んで、加藤周一文庫が設置されたためだ。今日、立命館大学サービスラーニングセンター科目のガイダンス後、時代祭応援プロジェクトの皆さんと共に訪れ、拝見した。
今日もまた夕方から大阪に向かった。向かった先は應典院である。3月31日に自分の名前をはがした下足箱には、別のスタッフの名前が記されていた。よく、職場を離れることを学校のメタファーを用い「卒業」と言われることがあるが、何か合点がいった。
應典院には浄土宗平和協会によるNGO支援事業に関する意見交換でお邪魔した。平和とは何か、何をすれば平和な状態が続くか、平和のためには何をしてはならないか、正解のない問いを互いに重ね続けた。ちなみに、「今・此處」の文化を説いた加藤周一先生は、立命館大学国際平和ミュージアムの初代館長であった。過去を見つめつつ未来を見据える、そうした時間軸の上に、平和はある。
これは加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2007年)の「まえがき」冒頭部分である。この直筆原稿から作成されたロールスクリーンが、立命館大学衣笠キャンパスの新図書館にある。2階の南側、白川静文庫に並んで、加藤周一文庫が設置されたためだ。今日、立命館大学サービスラーニングセンター科目のガイダンス後、時代祭応援プロジェクトの皆さんと共に訪れ、拝見した。
今日もまた夕方から大阪に向かった。向かった先は應典院である。3月31日に自分の名前をはがした下足箱には、別のスタッフの名前が記されていた。よく、職場を離れることを学校のメタファーを用い「卒業」と言われることがあるが、何か合点がいった。
應典院には浄土宗平和協会によるNGO支援事業に関する意見交換でお邪魔した。平和とは何か、何をすれば平和な状態が続くか、平和のためには何をしてはならないか、正解のない問いを互いに重ね続けた。ちなみに、「今・此處」の文化を説いた加藤周一先生は、立命館大学国際平和ミュージアムの初代館長であった。過去を見つめつつ未来を見据える、そうした時間軸の上に、平和はある。