ヨーロッパ心理学会がアムステルダムで開催されるということで誘っていただいたサトウタツヤ先生から「ライデンに足を伸ばす」と伺い、ご一緒させていただくことにした。オランダ政府観光局の日本語版ページによれば、「ライデンは、主にレンブラントが生まれた町として知られる、大学の町」とある。ライデンは大学のまちとして知られている。そして、ライデンは日本との縁も深いまちである。例えば、鎖国中の長崎において医者として赴任したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本から標本を送り、オランダ帰国後に住まいを置いたまちでもある。
今日は午前中にアムステルダム中央駅にて待ち合わせをし、列車でライデンへと向かった。快速列車で40分弱で到着すると、駅近くの観光案内所で地図などを求めた。予め政府観光局などで情報収集をしていたのもあり、概ねのルートは決めていたが、まちの情報板の多くがオランダ語であることと、WiFi環境にありつけない場合には経路検索もできないため、せめて英語での紙媒体を得ようと考えたのである。そうして情報収集を終えた後、市庁舎(Town Hall)の一角を改装して整備されたイタリアンレストラン「City Hall」でお昼を取った。
その後、日本博物館シーボルトハウスへと足を運んだ。その名のとおり、シーボルトの旧宅であり、2005年からは博物館として公開されている。当初はライデン大学を主たる目的地にしていたが、博物館機能があるシーボルトハウスを最初に尋ねることにしたのである。というのも、今回のライデン訪問の最大の目的は、ライデン大学に学んだ西周助(後の西周/にし・あまね)先生の痕跡を尋ねることにあったためである。西先生は英国のジョゼフ・ヘブン(Joseph Haven)による『Mental Philosophy』を訳出する中で、心理学という語を充てたことで知られている。
そこでシーボルトハウスの受付で「ライデンに学びにきた日本人に関する資料を探している」と伝えると、幸運なことに3年ほど前にミニ写真展を行ったことを覚えている方だったため、さらに資料に詳しい方につないでいただいて、2008年に発行された『誉れ高き来訪者:ライデン-日本』という小冊子を譲っていただけることになった。シーボルトハウスの見学の後、冊子の中で紹介されていた、西周先生に加えて同時に渡蘭した津田真一郎先生もオランダ語を学ぶために共に通ったというシモン・ヒッセリング先生の家(現在はライデン大学の学生寮として使用されているという)を尋ねた。続いて、ライデン大学の図書館にも訪問したところ、1日10ユーロでビジターカードが発行できるが、日本の古い資料は一定の量があるものの書庫から取り出す時間がかかるため、午前中からの来訪か、事前にオンラインカタログから資料を特定していないと難しいと、別の日の訪問を勧められた。そこで民俗博物館で企画展「COOL JAPAN」を鑑賞し、風車の見えるカフェで休憩した後、Rhodosというレストランでギリシャ料理をいただいてアムステルダムへと戻る、充実の一日となった。
そこでシーボルトハウスの受付で「ライデンに学びにきた日本人に関する資料を探している」と伝えると、幸運なことに3年ほど前にミニ写真展を行ったことを覚えている方だったため、さらに資料に詳しい方につないでいただいて、2008年に発行された『誉れ高き来訪者:ライデン-日本』という小冊子を譲っていただけることになった。シーボルトハウスの見学の後、冊子の中で紹介されていた、西周先生に加えて同時に渡蘭した津田真一郎先生もオランダ語を学ぶために共に通ったというシモン・ヒッセリング先生の家(現在はライデン大学の学生寮として使用されているという)を尋ねた。続いて、ライデン大学の図書館にも訪問したところ、1日10ユーロでビジターカードが発行できるが、日本の古い資料は一定の量があるものの書庫から取り出す時間がかかるため、午前中からの来訪か、事前にオンラインカタログから資料を特定していないと難しいと、別の日の訪問を勧められた。そこで民俗博物館で企画展「COOL JAPAN」を鑑賞し、風車の見えるカフェで休憩した後、Rhodosというレストランでギリシャ料理をいただいてアムステルダムへと戻る、充実の一日となった。