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2017年7月23日日曜日

記憶と痕跡

母たちとの旅は昨日で終わり、日常へと戻りつつある。しかし、この2日間のために母たちが重ねた準備時間の熱量は相当なものだった。実際、今朝は目覚めても爽快感に浸ることができなかった。何となく、寝ているあいだにも窓の外の物音などが気になり、眠りが浅かったことも影響しているのかもしれない。

今回は妻と二人だけでの旅とは異なり、コペンハーゲンの観光地を早回りするものだった。二人だけなら、公園は公園でも住民参加型の計画のもとアーティスト等が参画して整備されたスーパーキーレンへ、博物館や美術館も有名所とはひと味違うデンマーク建築センター(Dansk Arkitektur Center)やフィン・ユール邸のあるオードロップゴー美術館(Ordrupgaard)などへと足を運ぶ。ちなみにデンマーク建築センターは、昨日の運河クルーズの際に船から仰ぎ見たが、2018年には移転が予定されている。今は1882年の近代建築に入り、2階のカフェからは運河ツアーなどの船へと目線を落とし、相互にコミュニケーションを図る楽しみがあるが、それも今年までとなるのだろう。

今日はふと、5月にStudio-Lの山崎亮さんたちとヤン・ゲールさんの事務所にお伺いして、ヒューマンスケールという観点を学んだことを想い起こした。まちなかの場づくりにおいては、人々の行動に着目することが重要だ、という視点である。日本語では身の丈に合った、という表現がある。ヒューマンスケールを身の丈と訳出しては、少し意味合いが異なるところがあるかもしれないが、あえて身の丈と置き換えてみると、まちを見つめる視点と視野がいい具合に調整できるのではなかろうか。

母たちと離れ、オールボーの自宅に戻ると、日本で調達してきてくれた品々を改めて見つめることになった。乾物などをいっぱいに詰め込んだボストンバッグの中身を広げると、テーブル一面に広がった。一昨日、オールボー空港で合流したとき、そのバッグはオールボーの家まで私が持っていくことにしたが、私でもそれなりの重さを感じた。年を重ねていく親の立ち居振る舞いからすれば一定の負担であったことは想像でき、運んできてくれた品々を改めて見つめると、年を重ねても子は子であることを思い、できる限りの親孝行を何らかの形で重ねていこうと誓いたくなった。