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2017年7月26日水曜日

あるものを活かす

立命館大学サービスラーニングセンターのプログラムでお世話になっている現場の一つに京都の三大祭の一つ「時代祭」がある。それぞれの現場で学生の受入を担当いただいく方がおられるのだが、こうして地元密着型のプログラムでは、自治体での受け入れなどと異なり、定期的に交代するということがない。加えて、立命館大学が母校でいらっしゃるということもあり、私から見ても先輩であるものの、至らぬ点には温情をかけてくださっている。

その現場で、ざっくばらんな交流の機会を設けていただく折り、細やかな配慮のもと、お品書きをご用意いただいていることがあり、そこには「ないものはない」と記されるのがきまりである。アニメ「一休さん」(第118話「馬の角とたくさんのおにぎり」)のとんち問答でも取り上げられているように、「あるものはあるけど、ないものはない」という洒落なのだ。ちなみに2011年8月には、多彩なコミュニティ・デザインの実践で知られる島根県海士町が「海士町、『ないものはない』宣言!」を発表した。かつて、森進一さんが「襟裳岬」(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)で「何もない春」と歌ったところ、当初は抗議が、後には感謝が重ねられたというから、これもまた地域にまつわる豊かな物語の一つと言えよう。

今日は「あるもの」を求めて、総務省統計局のウェブと格闘していた。国勢調査の小地域集計のデータである。それを使うと、町内会レベルまでの人口データにより、その地域の動態をつかむことができるためである。ところが、2013年3月3日の第7回日本統計学会春季集会でも発表されている独立行政法人統計センターの製表部に所属の羽渕達志さんの資料(2012年9月「国勢調査の地域区分と地域データについて」)によれば、町丁・字等を単位として集計される小地域統計は平成7年(1995年)分から整備・公表され、平成2年分については同年分から導入された9桁の基本単位区のデータをもとに小地域統計と同じ内容を組み上げることができるようだが、総務省統計局のページではダウンロードすることができなかった。だからこそ、製表という仕事が存在するのだが、今回はひとまず1995年以降のデータで比較し、分析することにした。

 長く水俣市役所に勤め、水俣病資料館の館長などを勤めた吉本哲郎さんは「ないものねだりをやめて、あるものさがし」と言って「愚痴や悪口を自分たちでどうにかしようという自治に変えていった」(「分権時代の新しい公を支える地域主体の構築」、2011年、龍谷大学、p.30)。もちろん、簡単にはいかない。今日は地域の数字を見つめる中で、改めて地域を語る物語が重要となることを確信した。もちろん、そうした語りが地域に響くよう、関わり方の姿勢もまた問われる。そんなことを考える中、外から聞こえる声の方向に目を向けると、下の階の方がキイチゴの実を取っている様子で、これもまた「あるもの」を探した成果なのだろうと感じ入った。