上町台地からまちを考える会の事務局長をさせていただいております。2004年4月からです。2代目の事務局長となるのですが、着任させていただいた年の10月から始まったのが「上町台地100人のチカラ!」という取り組みです。これは、同会が同年7月から、玉造にある「結(ゆい)」という複合商業施設(現在は「地域交流スペース」と呼んでいる)の3階に事務所機能を置くことになり、その場所で始めた企画です。同会の理事でもある、京都大学の高田光雄先生が関わっている、京都三条ラジオカフェというコミュニティFMの番組「きょうと・人・まち・であいもん」のゲストの呼び方や交流の仕方を参考に、同会の代表理事を務めている秋田光彦大蓮寺・應典院住職の命名により、現在まで続けられてきています。
今日はその93回目として、「上町台地から考える、能といのちとは~能は何を伝え、なぜ生き続けているのか~」と題し、能楽大倉流小鼓方の久田舜一郎師をお招きしました。ちなみに、「上町台地100人のチカラ!」では、参加費は500円、会の理事・事務局のスタッフらがゲストをお招きし、ゲストは終了後の懇親会にご招待、というのが定型となっています。今回の招き役は、同会の理事で、大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所客員研究員の弘本由香里さんでした。久田先生は1944年生まれで、昨年で芸歴50年。重要無形文化財総合指定保持者として全国の能舞台での活躍に加え、能囃子の可能性と普及を追及すべく、ジャズやクラッシック音楽やフラメンコなど、他ジャンルとのコラボレボレーションにも広く取り組んでおられます。
このように、分野や世代をまたいで表現に取り組んでいる久田先生のお話で、極めて印象的だったのは、「リズムは世界で同じという人とはコラボレーションはできない」ということでした。必ず、それぞれに固有のリズムがあるはずなのに、最初から「同じ」と決めつけてしまっては、こちらの世界に引き込むこともできなければ、そちらの世界に打って出ることもできない、そういう観点からの発言でいらっしゃいました。また、時代の変化の中で、師弟の関係を結んで教育・伝承することが難しくなってきている中で、「師匠から技術を教わる」よりも「師匠に気分を似せる」ことが、ご自身の経験においては重要なことだった、と話されたことも、ハッとさせられました。次元が違う話なのですが、私が物真似をよくしてきたことも、「何かを教わる」のではなく「コツをつかむ」という姿勢の現れかもしれない、などと考えました。
久田先生は、お話のあいだにも、また懇親会の席でも、「音楽についてことばで語るのは、そもそもナンセンスだ」というようなことを仰っていました。しかし、能楽(猿楽)について、あえてことばで説明するなら、と、天下泰平のために言霊の力を借り、その言霊を翁が担うものとして踊り、物語に身体性と叙述性を与えるために音楽やかけ声がついた、と明快に示していただきました。中でも鼓は「真空が爆発してエネルギーになった」ものとのこと。ゆえに、古の時代より、生きづらい世の中が歌われることで、悲劇の主人公の弔いを通じて救いを与える上で、重要な役割を果たしてきた、と、なんだかにわか勉強ながら、能の世界の奥深さを学ばせていただきました。
ちなみに、久田先生には実演もいただいたのですが、本日お持ちいただいた胴(漆と金箔の段差がない素晴らしい仕上げのものでした)は元禄時代のもの、そして皮の部分は100年程前のもので小馬のものが使われているそうです。