今、「サムライ」と言えば、WBCの3連覇に挑んだ野球チームのことを指すのだろう。3月17日、「塁を盗めそうだったら、2人とも、次の塁を盗め」という作戦が失敗に終わったことで、3連覇という目標を逃したことは、改めて語るまでもなかろう。社会システム論を少々織り交ぜながら「作戦」とは何かを語るなら、それは「他とは区別される具体的な内容」と「それが作動する明確な条件」が必要である。今回は、盗塁という字の如く、「塁を盗む」にあたって「this ball(このボールで盗みにかかれ)」ではなく、いくら強権の捕手でも大きな動作の投手という状況を鑑みれば「green light(行けたら行け)」という(ある種の明確な)指示があったのだが、2塁ランナーが「(盗みにかかった以上、戻ってはならないのに)戻ってしまった」ことと、「(全員のバランスがうまく取れないときには)走るな」といった指示あるいは条件づけが必要であったのだろう。
運動と言えば、専ら「社会運動」な私にとって、サムライと聞けば野球(侍ジャパン:電通の登録商標らしい…)でも、サッカー(サムライブルー)でも、ホッケー(サムライジャパン)でもなく、諸々の実践現場の担い手に対する資格(士:さむらい)を連想してしまう。今日は、本年度、試行的な取り組みとして、京都大学の宇治キャンパスで実施されてきた「日本・地域経営実践人財養成講座」の特別講義と修了式に参加した。通常「人材」とされるところを「人財」と扱うのは、人は材料ではなく、まちの財産である、とするという視点に基づくものであり、人が「有用か無用か」は、予め区別されないという意味なのだろう。なぜなら、この取り組みの仕掛け人は、長らく鳥取県智頭町の「地域経営」の仕掛け人となってきた、寺谷篤さん(転地療養で京都に移住後は、篤志さんを名乗っておられる)であるためだ。
講座というよりも「塾」という性格が強い、この1年の試行的な実践は、この3月11日の「一般社団法人日本・地域経営実践士協会」の設立へと結実した。今日はこの間の「塾長」であり、法人の理事長に就任した岡田憲夫先生による特別講義が行われ、地域経営のためには「小さな事起こし」が必要であると説かれた。それは、各種の実践は「おのれのためだけにするのか」という問いかけであり、それぞれに共有し、共感しあう公共空間こそが「マチ」であり、それを持続的に発展していくには「事起こし」によるソーシャル・イノベーションこそが求められる、という論理である。岡田先生は、そのイノベーションへの「ベクトル」(それぞれが満たされる望みの度合いと方向)こそが「まちのビジョン」となるため、一人からでもできるが一人だけでは続いていかない「小さな事起こし」を、「必ず実現する」「必ず実践する」ために、「必ず計画する」ことが鍵であると、熱弁をふるわれた。
岡田先生の講義の後、通し番号で8番の「認定証」を岡田先生から授与された私は、「事起こし」が小さくて済むのは「当事者の参加があってこそ」する言葉に応えるかのように、「ぶれとずれの違い」、「図化と表化の合わせ技」、「ドリルによる問いの問い直し」の3点を、認定証を受け取った者の決意として述べた。「ぶれとずれの違い」とは、このところの政権交代に伴う流行言葉を揶揄しつつ、「ずれる(diviate)」という自動詞ではなく「ずらす(shift)」という他動詞で物事を捉えることで、主体と対象と目的が明らかになる、という観点である。そして「図化と表化の組み合わせ」とは、図によってある構造や状況に概念的に迫るのであれば、表によって概念や実態の構成要素を系統的に整理することも大切である、という観点である。そのため、今後、「士(サムライ)」として地域経営の実践に取り組んでいく(ことができる)者としては、直面する現状を「ドリル」のように捉えて、その答えを探る中、改めて自らに突きつけられた「問いを問いなおす」こととしたい、と発意するところである。
運動と言えば、専ら「社会運動」な私にとって、サムライと聞けば野球(侍ジャパン:電通の登録商標らしい…)でも、サッカー(サムライブルー)でも、ホッケー(サムライジャパン)でもなく、諸々の実践現場の担い手に対する資格(士:さむらい)を連想してしまう。今日は、本年度、試行的な取り組みとして、京都大学の宇治キャンパスで実施されてきた「日本・地域経営実践人財養成講座」の特別講義と修了式に参加した。通常「人材」とされるところを「人財」と扱うのは、人は材料ではなく、まちの財産である、とするという視点に基づくものであり、人が「有用か無用か」は、予め区別されないという意味なのだろう。なぜなら、この取り組みの仕掛け人は、長らく鳥取県智頭町の「地域経営」の仕掛け人となってきた、寺谷篤さん(転地療養で京都に移住後は、篤志さんを名乗っておられる)であるためだ。
講座というよりも「塾」という性格が強い、この1年の試行的な実践は、この3月11日の「一般社団法人日本・地域経営実践士協会」の設立へと結実した。今日はこの間の「塾長」であり、法人の理事長に就任した岡田憲夫先生による特別講義が行われ、地域経営のためには「小さな事起こし」が必要であると説かれた。それは、各種の実践は「おのれのためだけにするのか」という問いかけであり、それぞれに共有し、共感しあう公共空間こそが「マチ」であり、それを持続的に発展していくには「事起こし」によるソーシャル・イノベーションこそが求められる、という論理である。岡田先生は、そのイノベーションへの「ベクトル」(それぞれが満たされる望みの度合いと方向)こそが「まちのビジョン」となるため、一人からでもできるが一人だけでは続いていかない「小さな事起こし」を、「必ず実現する」「必ず実践する」ために、「必ず計画する」ことが鍵であると、熱弁をふるわれた。
岡田先生の講義の後、通し番号で8番の「認定証」を岡田先生から授与された私は、「事起こし」が小さくて済むのは「当事者の参加があってこそ」する言葉に応えるかのように、「ぶれとずれの違い」、「図化と表化の合わせ技」、「ドリルによる問いの問い直し」の3点を、認定証を受け取った者の決意として述べた。「ぶれとずれの違い」とは、このところの政権交代に伴う流行言葉を揶揄しつつ、「ずれる(diviate)」という自動詞ではなく「ずらす(shift)」という他動詞で物事を捉えることで、主体と対象と目的が明らかになる、という観点である。そして「図化と表化の組み合わせ」とは、図によってある構造や状況に概念的に迫るのであれば、表によって概念や実態の構成要素を系統的に整理することも大切である、という観点である。そのため、今後、「士(サムライ)」として地域経営の実践に取り組んでいく(ことができる)者としては、直面する現状を「ドリル」のように捉えて、その答えを探る中、改めて自らに突きつけられた「問いを問いなおす」こととしたい、と発意するところである。