事業のアドバイザーだからと言って、必ず現地に訪問する必要はない。しかし、現場に浸ることによってこそ、「あのときのあれ」について語り合うことができる。フィールドワークの醍醐味はそうして同じ空間で同じ時間を過ごすことにあり、一方で同じ空間で同じ時間を過ごしながらも全く異なった印象や見解が抱かれることによって、実践の意味や価値について語り合うことができる、そう捉えている。とりわけ、小規模のアートプロジェクトにおいては、仕掛け人がプレイング・マネージャーとしてではなく、マネージング・プレイヤーとして立ち居振る舞っている様子が気がかりで、関心の共有を通じてお仲間が増えていくプロセスが丁寧に展開されていくように助言を重ねる上で、あの日あの時を一緒に想い起こすことができるようにしておきたい、そんな思いでフットワークを軽くしているつもりである。
こうしたフットワークがネットワークを豊かにし、何よりネットワークが豊かになることでアイデアやコンセプトもまた豊かになる、という実感がある。そしてその原体験は高校1年の際の現代社会の授業に通じていると確信している。地理の教科担任でもあり、かつクラス担任でもあった先生の授業は、同級生と会う度に決まって話題となる。そして、その授業内容のみならず先生の知力と行動力(例えば、年越し蕎麦を京都に食べに行って新幹線の車内から初日の出を見にいくという旅行プランを提示されるなど)は、結果としてクラスの雰囲気を良い方向に下支えするものとなり、2年生への進級時には文系・理系に再編されるために「ホームルーム解散式」なるお茶飲み会が行われ、卒業後にもわざわざ1年生のクラスで同窓会が開かれる程である。(実際、卒業から20年が経った2014年に開かれた学年全体の同窓会において「オリンピックの年に同窓会をしよう」と改めて約束し、2016年と2020年に開催された。)
今日は浜松市の補助事業のフィールドワークの後、恩師の先生のお宅を訪ねた。というのも、昨年の同窓会の後でお電話をいただき、私の大学での仕事内容やニコンのカメラを愛用してきたことを踏まえて、先生のコレクションの一部をお譲りいただく、というお申し出をいただいたためだ。大切なコレクションであることは高校時代にも伺ったことがあったものの、いわゆる断捨離の一環でもあるという語りにささやかなさみしさを抱いたものの、コロナ禍が落ち着いた折には京都のご案内をすることを約束して失礼をさせていただいた。年末年始は叶わなかった墓参や懐かしのカレーハウス(1963年創業)での黙食ランチも含め、心地よい懐かしさを味わう充実の帰省となった。
(iPhone XR, 4.25 mm<26mm>, f/1.8, 1/60, ISO 125)