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2015年2月23日月曜日

想像ラジオが語りかけてきた

「たとえ上手のおしゃべり屋」と自分で語る程でもないのだが、たとえ話を交えてしゃべるのが好きである。好きなだけであり上手かどうかは定かではないと、自己評価は横に置いておくとして、語り方や綴り方の中に、多くの比喩や隠喩、そしてレトリックを駆使している自覚はある。事実、2005年に書き上げた学位論文でも、ネットワーク組織の有り様を長縄跳びのアナロジーで捉えたし、2009年の論文でも参加型学習の意味と意義を半返し縫いをメタファーに紐解いた。社会構成主義に立つケネス・ガーゲンの著書『もう一つの社会心理学』の訳者である渥美公秀先生が、メタファーとは概念間を結びつける「視覚代理物(visual substitution)」であると同書で示していると研究指導を重ねていただいたことが、今につながる語り方・綴り方の礎石となっている。

そんな「たとえ屋」の私が今日の出来事を綴る上で、「初登場第一位」という表現を使いたい。まるでラジオのリクエスト番組のようだが、あながち外れていない。なぜなら、その対象は『想像ラジオ』という作品なのだ。ただし、それは実在のラジオ局の番組名ではなく、いとうせいこうさんの小説の名前である。

例によって年末にいそいそと再開したブログも、1月中旬の授業再開と阪神・淡路大震災の周年事業などに従事するなか、きちんと途絶えてしまっていた。ただ、今日、一気に読了したこの小説は、依頼された原稿さえ仕上げられず、ましてや日々の業務もままならなくとも、何かを綴ろうという衝動に駆り立てるものであった。無論、この小説が東日本大震災を扱ったものであること、また2013年に出版されたこと、加えて渥美先生が昨年上梓された『災害ボランティア』においても触れられていたことなど、これまでも何度も読もうと思いながら、日々の出来事に浸りきっていると、どうしても手を伸ばすことができなかったが、たまたま出発直前にゲート横の本屋さんに立ち寄ったところ、刊行したての文庫版が平積みとなっており、運と縁の巡り合わせと手にしたのだ。


ブログが途絶えている間、京都や大阪や神戸でバタバタしつつも、インドネシアのジョグジャカルタ、シンガポール、そして気仙沼と出張を重ねてきたが、今日からジャカルタである。地震や津波や火山噴火など、多くの厄災を経験する中で、生活文化を通じてどのようにその経験が継承されてきているのかに触れることが目的だ。その往路にて、冒頭に記した「たとえ上手のおしゃべり屋」(p.82)という設定のDJアーク(東日本大震災により福島県にて38歳にて亡くなっていったとされる芥川冬助)が主人公となり、想像の世界で繰り広げられるラジオ番組が文字化された小説を読み、誰が読んでいるかもわかりきらず、特に反応も寄せられないブログなのだが、それでも書こうと発意した。気温は30度を超えて湿度も90%を越えるインドネシアにて、思い上がりと思われるかもしれないが、全編が2者(作品中では作家Sさんと、大震災の半年前の秋に事故に巻き込まれて亡くなった君)の対話に終始する第4章の、144ページにあるこの言葉「あなたは書くことでわたしの言いたいことを想像してくれる。声が聴こえなくても、あなたは意味を聴いてるんだよ。」のように、この文章を読んでくれている誰かを、そしてその人の言いたいことに想像をめぐらせ、誰かの想像力によって作り出される世界に語りかけ(なおし)ていくことにしよう。

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