FDはFaculty Developmentの略語で、教授能力の開発を意味する。教授という職種の人の能力を開発する、という意味に止まらず、広く大学関係者の研修会として捉えるのが自然な解釈だろう。実際、その定義は議論の対象となっており、例えば文部科学省の中央教育審議会「我が国の高等教育の将来像」答申(2005年1月)では「教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取組の総称。その意味するところは極めて広範にわたるが、具体的な例としては、教員相互の授業参観の実施、授業方法についての研究会の開催、新任教員のための研修会の開催などを挙げることができる。」とある。そもそもFacultyとは個々の教員ではなく教員団として、つまりは集団を指すのであり、ちょうどサンガ(saṃgha)が「お坊さんたち」を指す構図に似ているように捉えている。
昨年度も立命館大学から企画検討委員として参加させていただき、今年もまたその役を担わせていただくにあたり、シンポジウム「大学の教育・研究・社会貢献に新しいモデルは生まれうるか?〜COVID-19の経験を踏まえてAI化・ロボット化した世界の担い手を構想する〜」を提案、コーディネートする機会を得た。コロナ禍において、2020年3月に立ち上がったFacebookの「新型コロナのインパクトを受け、大学教員は何をすべきか、何をしたいかについて知恵と情報を共有するグループ」の創設管理人の岡本仁宏先生(関西学院大学)と、2020年1月に『ROBOT-PROOF:AI時代の大学教育』(森北出版)を訳したお一人である杉森公一先生(金沢大学)と共に、約2万1千人の参加者の投稿を通じて、どんな未来像を展望することができたかを語り合うことにした。2時間のシンポジウムの前半は事前提供資料をもとに、お二人の話題提供に、後半は469名に申込みをいただいた参加者(最大時に400名)から随時受け付けたQ&Aの内容を紐解いていくことにした。18ほど寄せられた問いの中で、私にとって最も印象的だった問いは「本当に元に戻らず変われるのでしょうか?」であった。
ちなみに私の事前提供資料では、最後に岩見夏希さんによる詩「ない」を紹介した。この詩は現在、仙台市教育委員会による「仙台版防災教育副読本『3.11から未来へ』」の小学校4,5,6年向けにおいて「希望の詩」として紹介されているが、私が最初に目にしたのはNPO法人アートNPOリンクによって展開された「アートNPOエイド」で藤井光さんが現地で撮影した写真(宮城県亘理郡山元町役場にて2011年4月23日撮影)であった。まもなく東日本大震災から10年だが、あの時に「そこにあった/ものをとりもどす/ために/がんばっている/ぼくたちには/まえとはちがうが/必ずいいものが/帰ってくるだろう」と力強く言葉が紡がれたことを思えば、コロナ禍の前に「そこにあった」もの、例えば対面授業の本質は何かを、丁寧に見つめ直さねばならない。それはシンポジウムでの議論のみに止まることなく、通常は懇親会として捉えられる「情報交換会」もまたオンライン開催したことによって、同じ関心を持つ人どうしでつながりあい、Zoomのブレイクアウトルームでのセッションで対話を深めたことにより、今後もさらに深く掘り下げられていくことだろう。