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2013年7月10日水曜日

hangover?


朝から若干グロッキーな一日だった。実は、前日の講義の後、3月の台湾・淡江大学と立命館大学とのプロジェクトでお世話になった国際教育推進機構の堀江未来先生と、サービスラーニングセンター科目を共に担当している共通教育推進機構の桑名恵先生との会食にお誘いをいただいていた。立命館には、こうして学部に所属せず、学部を横断した教育を担う「機構」所属の教員がいる。今回、そうした機構所属の教員どうしで、ざっくばらんに語り合おう、ということになり、多忙な先生方の「あいま」をぬって会食することになったのだ。

もともと、飲食が好きということもあるが、気心の知れた人と共に過ごす場は、普段にも増して、お酒がおいしい。昨日の場も、まさにそんなひとときであった。気付けば3人で紹興酒「孔乙己」8年熟成が2本、空いていた。そこに睡眠時間が若干短くなってしまったことも重なって、やや辛い目覚めとなってしまったのだ。

ただ、水曜日の朝は朝日カルチャーセンター中之島校にて、「English with current topics」のクラスがある。今週の教材は「Leaker's Employer Is Paid to Maintain Government Secrets」だった。記事は、元CIA職員、エドワード・スノーデン氏の雇用主に着目し、公民連携に横たわるネオ・リベラリズムについて
迫るものであった。そして、日本でも検討されているNSA(国家安全保障局)が米国において、中国へのハッキング、また同盟国へのスパイ、加えて自国民への情報収拾、極めつけはFISA(Foreign Intelligence Surveillance Act:国際情報監視法)裁判所からの承認の獲得、といった背景を知るに、なんとも、恐ろしい時代になった、と思うのであった。

ただ、今回はそんなグロッキー状態もあいまって、行きの電車の予習がままならず、どうにも英語脳が鍛えられたとは言えない気がしている。ともあれ、徐々に回復していった夕方には、以前から打診を受けていた研究プロジェクトについての「縁結び」の役割を担わせていただいた。それぞれにお忙しい方々と同席させていただき、今後の展開が楽しみである。ということで、夏以降、改めて岩手県の宮古市に通うことが増えそうな気がしている。

2013年7月9日火曜日

場所と時間を横断する一日

今日もまた、予定を綱渡りする一日だった。朝からは、立命館大学サービスラーニングセンターが主管する「いわてGINGA-NET」への課外学習のプログラムについての打合せが行われた。例年、事前学習と事後学習を担当してきたが、今年度は、現地への随行が可能な桑名恵先生に、事前・事後、そして現地での日々の振り帰りを担っていただくことになった。今日は、昨年度までの経験知を共有し、新たな展開可能性について語り合う場が設けられた。 昼休みには囃子方による祇園祭紹介を伺わせていただいた。これも同じく、サービスラーニングセンターの関連である。なぜなら、サービスラーニングセンターによる科目の筆頭に挙げられる「地域活性化ボランティア」(2012年度からは「シチズンシップ・スタディーズI」に名称変更)が開講された2006年度からお世話になっている「時代祭応援プロジェクト」の一環で開催されたためだ。時代祭とあわせて京都の三大祭の1つであるとともに、日本の三大祭の1つとされている祇園祭について見識を深め、時代祭への関心を深めよう、というのが狙いであった。 14時半までのプログラムであったが、並行して展開されているプロジェクトの打合せもあって、13時前には中座をさせていただいた。京都シネマを拠点に展開される「シネマP」と、立命館災害復興支援室の取り組みと関連づけた「減災P」と、それぞれ相談に応じるためである。これは学生に限ったことではないのだろうが、集団的な活動においては、展望(ビジョン)と目標(ターゲット/ゴール)を定めることが、存外難しい。ましてや、期間が定められている場合には、取り組みのプロセス(段取り)やアプローチ(手法)への合意形成も容易ではなく、専ら私は、それらを掘り下げるための「問いをなげかける」役割を担っている。 酷暑の中、束の間の休息を衣笠キャンパス横のカフェ「山猫軒」で取った後は、2コマ連続の講義が待ち受けていた。14時40分からは「地域参加学習入門」で、人と防災未来センターの高森順子さんを招き、「コミュニケーションデザインとコミュニティ」というテーマのもと、震災の手記を追うという実践から、「社会を実感する瞬間」について思考を深める回となった。その後の「シチズンシップ・スタディーズII」では、受講生らが企画して行った前週のトークサロンの趣旨、実施過程、結果、成果を相互評価する1時間半とした。一日を振り返れば、多様な場所と時代を越えた営みに迫った、濃密な一日であった。

2013年7月8日月曜日

リーダーとトップ


朝から衣笠キャンパスで、サービスラーニングセンターの学生コーディネーターとの合宿の打合せが行われた。サービスラーニングセンターでは、ボランティアセンターという名前で活動していた頃から、大学と地域とのあいだを結ぶために、学生スタッフを起用している。名称が変わった今でも、学生たちの学びと支える学生として、衣笠キャンパスにて33名、びわこ・くさつキャンパス21名が活動している。スタッフと称しているが、金銭的な報酬は支払われないものの、選考を経た後、大学が設置した機関のメンバーとして、年2回開催される合宿の最後に、センター長から「任命」の証書が渡され、各々の自覚と責任が喚起されている。

昨年度まではびわこ・くさつキャンパスの所属だった私も、今年度から衣笠キャンパスの所属となり、両キャンパスの組織風土の違いを見てきた。ただ、両キャンパスともに、特に気になってきたのが、明確な意思決定の構図が定められてこなかったことである。すなわち、「リーダー」は置いても「トップ」を置いてこなかったのだ。そのため、今年度から設置された「代表」や「副代表」の職にあたる人々には「ダンドリスト」という呼び名が付けられ、事態を前に進めていくための集団として維持・発展がもたらされてきた。

リーダーとトップとのあいだでは、異なる言葉であるから当然なのだが、役割や職責が異なる。その違いを明確にするために別の表現で言い換えるなら、統率者と統括者は異なる。統率を取るものは複数いてもよいが、統括をするものが複数いては、組織全体が機能しない場合がある。リーダーの対義語はフォロワーであり、トップの対義語はボトムかもしれないが、トップには「the top」つまり、最高位からの序列が存在する。

午後からはサービスラーニングセンターの運営会議であったが、ここでも「サービスラーニングセンター長」という、絶対的なトップが存在する。転じて、センターの事業や授業をリードするリーダーは複数いる。もちろん、組織にはそれぞれの文化があっていいのだが、それが我流ではなく亜流になったとき、集団の活性化への芽が摘まれてしまうだろう。要するに変わらぬ「型」を尊重し、自らの「流儀」を追究する、その両者があってこそ、組織の文化は深まるだろう。

2013年7月7日日曜日

アナログな機械仕掛け

京都に生活と仕事の拠点が移った今年、5年ぶりに自動車を所有することにした。正確に言えば、大阪暮らしのときにも250ccのオートバイを所有していたので、法律上は軽自動車を所有してきたことになる。「持たない暮らし」にあこがれつつも、どうしても「持つ」ということへの欲を捨てきれない。なんとも、難しいものである。

5年ぶりに所有した自動車は、知る人ぞ知る「カリーナED」である。形式はST162、後期型のG-Limitedだ。こういう表現でピンとくる人は相当、車に通じている方であろう。5ナンバー車で4ドアのハードトップという構成は、今後、二度と発売されることはないだろうし、それ以上に中古車さえも購入が困難なのが実情である。

今では珍車となってしまった愛車が、大きなトラブルに見舞われた。駐車場に停めて用事を済ませたところ、いざ動かそうと思っても、ウンともスンとも言わないのだ。「かかりつけ医」ならぬ「かかりつけ工場」に電話をさせていただいて助言を得た上で、任意保険の付帯サービスに盛り込まれていたロードサービスに連絡させていただいた。とても長く感じた30分ほどの後の見立てはセルモーターの摩耗で、初めての現象であれば「たたけばなおる」という見立てであった。

手はかかっても、謂われのあるものは愛おしい。結果としてサービススタッフの方がプラグレンチでコツコツと叩く呼吸をあわせてセルを回したところ、何事もなかったように、エンジンは回った。ということで、地球環境にはしばしの許容をいただいて、エンジンを止めることなく、工場へと入庫、しばらく検診と加療をいただくことになった。今ではコンピューター等による制御で、システムのブラックボックス化が進んでいるが、人もモノも、こうしたアナログな側面にいとおしさを覚えてしまう、七夕の休日であった。

2013年7月6日土曜日

語り、黙り、見つめなおす。

しゃべるのは好きだが、時々、黙るのも好きである。故事に「沈黙は金、雄弁は銀」がある。この概念に哲学の視点から考察したものとして、ドイツの哲学者・カーライルによる「衣装哲学(あるいは衣服哲学)」があるというが、未読なままだ。ともあれ、肯定と否定とのあいだを頻繁に往復する思考実験も好きなので、時にしゃべり、突然黙ることさえある。

そういう意味で私は、周りとも、また周りからも、「つきあいやすい/つきあいにくい」の評価が分かれるのではないかと思われる。昨日から参加しているアミタによる京北での「対話」の場でも、「住み応えを高めるよりも、いかに住み継ぐかを考えることができる人を」、「仏壇のある家が受容する他者性が重要」、「役職の設定よりも役割の創出を」、「覚悟を固めるステージを段階的に演出する」など、まあ、わかるようなわからないようなことを、時折語ってみた。それぞれに「何となく」わかるフレーズだが、結果として、何をどうしたらいいかは「する」人にしかわからない。自分が主体ではなく、対象になってしまっては、こうした言葉は、ただ、聞き流されて、「いろいろな話をした」で終わってしまう。

午後からはまた別の対話の場所に赴いたのだが、そこではなおのこと「語ること」と「黙ること」が重要とされた。茨木市豊川にあるコリア国際学園で開催された24時間サッカーの一環として実施された「哲学カフェ」に参加させていただいたためだ。「越境人になる」を理念に展開されている教育の現場に集った人々は、それぞれに「これまで」と「今」と「これから」をつなぐべく、口を開き、耳を傾け、目を向ける、とても尊い場が生まれていた。大阪大学の本間直樹先生が進行役を務めるグループに参加させていただいたのもあって、その進行の妙技にも改めて学びを得たのだが、それ以上に、コリア国際学園で学ぶ中学生から「いのちより大切なものはあるのか」、「なぜ人は働くのか」といった「なぜ」が問いかけられたときの場の緊張感に、いい意味で圧倒させられてしまった。

そんな心地よい緊張感もあってか、コリア国際学園にお伺いした後は、同じグループで出会ったご近所の方と共に、「大阪茨木モスク」にお邪魔させていただいた。詳細は省くが、茨木市豊川という地域が紡いできた多文化共生の歴史にどっぷり浸る経験を得た。あいにく、夜からはきょうとNPOセンターの次期中期経営計画の企画会議のため、それぞれに中途半端な関わりとなってしまったのだが、それでも、多様な人々の「違い」から始まる対話の意義を、十二分に見つめる半日となった。それゆえ、最後の会議では、「私は違うと思う」という「主張」に基づく「議論」あるいは「討論」の場に辟易としてしまい、「私は違うと立場を固定して主張を重ね続けることは、今日の趣旨とは違う」と、「違い」の我を張り合う結果になってしまったことを、小さく恥じている。

2013年7月5日金曜日

頭の中の知識と身についた知恵

毎週金曜日は立命館の朱雀キャンパスで過ごすことが多い。ただ、今日は衣笠キャンパスでのスタートであった。11時から、平和ミュージアムにお伺いし、友人から投げかけられた展示の実現に向けて必要な事柄をお示しいただくためであった。平和ミュージアムとは学生時代に参加した1995年の「世界大学生平和サミット」が契機となって、幾度となく関係を深め、例えば2012年度に開催された震災関係のミニ企画展では推薦文を寄稿させていただくなど、立場に応じてそれぞれの役目をいただいてきた。

思えば、毎週金曜日に定例の会議が行われている立命館災害復興支援室も、学生時代に「立命館大学ボランティア情報交流センター」を仲間たちと共に設置し、解散まで携わることができたからこそ、こうして関わり続けられている気がする。もとより、始めるよりも、続けることは難しい。そして続けるよりも、きちんと終えることは更に難しい。当時、センターの代表を務めた内山博史くん(現在は谷内さん)とのあいだにあった当初の緊張関係と、事の運びと共に重ねられた対話は、知識ではなく知恵として、自らの身についていると感じてやまない。

ということで、今日は衣笠キャンパスから朱雀キャンパスへと向かった。まずは今夏の淡江大学(台湾)と立命館大学とのプログラムに関する打合せを行った。その後、諸々の案件を協議する事務局会議に出席した。事前の調整がうまくいっていることもあって、最近は会議の予定時間よりも早くに終わることが多い。

そして、いつしか「千本三条・朱雀立命館前」という名前になったバス停から、14時13分発の西日本JRバスにて、旧京北町の京都府立ゼミナールハウスへと向かった。「第2回信頼を感じる共同体づくり対話会 in 京北」という会にお誘いいただいたためだ。第1回に参加していない、しかも途中参加、さらに元となるプロジェクトは自治体と企業の協働によるため、一定の制約条件を自ずから有している、という不自由さの中で、天の邪鬼なコメントを重ねさせていただいた。中でも「名詞で語っている対象を、動詞に置き換えて主体的な行動へと転換してはどうですか」という問いかけが響いたようなので、翌朝にもまた、しかし言葉少なに、調子に乗ったコメントをさせていただくことにしよう。

2013年7月4日木曜日

理論と実践を架橋する「仕込み」

木曜日の朝は應典院から始まる。最近、2006年に應典院に着任した頃を振り返ることがある。当時も京都から通っていたためである。そして毎朝、師匠と兄弟子とのお勤めをしていたのが、やや懐かしい記憶である。

生活と仕事の拠点は京都に移ったが、まだまだ大阪との関わりもある。今日のお昼は内科のかかりつけ医を受診した。診療所は、地下鉄の駅で言えば堺筋線の恵美須町駅の近く、應典院からは自転車で5分ほどで着く距離にある。先月の血液検査の結果をいただいたのだが、残念な結果となってしまった。身体は正直、と言えばそのとおりであるゆえ、少なくともこの1ヶ月、少々、生活習慣の変化に真剣に取り組んでみることにする。

ゲリラ豪雨と言えないこともなさそうな中を戻り、午後からは應典院の月次会議と應典院寺町倶楽部の隔月刊による会報「サリュ」の編集会議が行われた。同時に、下半期の事業スケジュールと内容についての意見交換もなされた。なかなか決めるというところまでは至らなかったが、単純に「例年どおり」の枠組みで実施していかないということだけは確認できたように思う。とりわけ一年の事業の集大成として位置づけられる「コモンズフェスタ」をどうするか、夏のあいだの「仕込み」が鍵となろう。

夕方からは滋賀県の能登川まで赴き、大阪ガスのエネルギー・文化研究所の研究会に参加した。2009年に創元社から刊行された『地域を活かす つながりのデザイン』の「その後」を追いかけている研究会でもあり、年に5〜6回程度の会合と、同志社大学大学院総合政策科学研究科での講義『コミュニティデザイン論研究』の企画運営がなされている。今日は趣向を変え、実践の現場で、理論的な観点を深めようと、滋賀県立大学の近藤隆二郎先生を講師に、子民家エトコロにて開催された。近藤先生のお話からは「巡礼」における身体参加のプロセス、パターンランゲージによる意味的参加の記述方法、1968年から南インドにあるエコビレッジ「オーロヴィル(auroville)」の場のマネジメント、さらには開催前にはアサダワタルくんの話題提供もあって、実に知的な興奮に満ちた会となった。

2013年7月3日水曜日

corpocracy:企業主導の民主主義

この1月から、水曜日の午前中には、大阪・中之島の朝日カルチャーセンターに、英語を学びに行っている。ただ、毎週ではない。大学のセメスターは春と秋の2つの学期に区切られて、1年の前半と後半とに分けられるが、このクラスでは、おおむね2ヶ月が1つのセメスターとして構成され、セメスターとセメスターのあいだには若干の休みが入る。今日は新たなセメスターの初回講義であり、いつものとおりにThe New York Timesを教材として、Tad先生の導きにより、ウィットに富んだ対話が進められた。

今週の題材は「Obama’s Covert Trade Deal」であった。日本ではとかく農業の面で語られるTPPだが、この記事ではインターネット著作権について、薬の許認可について、国家の管理を越えた金融の自由化について、という具合に、多方面に影響が及ぶTPPが、議会ではなく大統領が先決する案件であることの問題について迫っている。Tad先生は冒頭で、オバマ大統領が「benevolant dictator」(慈善的な先制者)と呼ばれていることに触れた。そして受講生との意見交換を通じて、記事の題名にも埋め込まれているとおり、TPPがポストWTOを射程に入れた「貿易の協定」という側面よりも、対中国への「national league」(国家の同盟)という構図にあることに迫っていくこととなった。

今日の対話の中で、「democracy」ならぬ「corpocracy」という言葉を学んだ。すなわち、企業主導の民主主義という新たな統治の概念である。確かに、TPPは国家における議会制民主主義を越え、グローバル企業を中核とした、自由競争への市場解放を求めた運動とも言えよう。交渉プロセス自体も非公開という、なんとも奇妙な民主主義が行き着く先は、どのような世界なのか、グローバリゼーションへの小さな絶望と、ローカリゼーションへのささやかな希望を携える他はなさそうだ。

英語のクラスを終えた後は、應典院へと向かった。まずは発行が遅れている「サリュ・スピリチュアル」の編集作業にあたった。そして夜には9月21日・22日に應典院で開催予定の「市民メディフェス」の打ち合わせだった。現場がある人どうしの密な会議の気持ちよさに浸りつつ、京都への家路につくのであった。


2013年7月2日火曜日

伸びしろと糊しろ

火曜日は出講日である。大学に職を得た人にしか通用にしないかもしれないが、要するに、講義のためにキャンパスに出向く日、だ。ある種の自由業として位置づけられる大学の教育職員(すなわち、教員)には、タイムカードがない。数年前、立命館ではタイムカードの導入が検討されたというが、結果として教育と研究の両面を担う労働者であるが、専門職であるという前提のもとでの裁量労働として位置づけられてきている。

特にフィールドワーク、アクションリサーチなどを研究手法としている私にとって、なかなか研究室に座っている、ということはない。ただ、それは大学教員が主たる仕事ではなかったときも、自分のデスクに座って、固定電話にかかってくる案件に対応する、というようなワークスタイルではなかった。振り返れば学生時代も、自宅の留守番電話に多くの録音が残され、「折り返しの電話」が求められたため、比較的早い段階で携帯電話を購入したことも、今に続くライフスタイルやワークスタイルに一貫する何かを見いだせそうだ。

そんな私が担当する講義は、自ずから、いかに生きるか、どんな仕事をするか、ということがテーマに盛り込まれる。本日であれば、5限の「地域参加学習入門」ではギャップイヤーを取り上げ、サービスラーニングセンターの白井恭子さんの話題提供とあわせて、いかにして大学と大学以外との接点を持つか、ということに迫った。そして、5限の「シチズンシップ・スタディーズII」では、約1ヶ月にわたって学生たちが立案をしてきた企画の本番を迎え、事前に参加を募った10名の学生らと共に、「着物で夏の京都を旅するプラン作り(と実際に足を運ぶための約束を結ぶ)」というワークショップに立ち会った。ちなみに昼休みから3限のあいだは「コアタイム」と称する時間を提供しており、通常は研究室で学生の来訪を待つ「オフィスアワー」を、逆に講義室に教員が足を運び、学生たちが自主的・自発的に集まって相談をし、学生たちの悩みや迷いに助言する、そうした趣向を採っている。

既に前期セメスター(セメスターとは学期のこと)の講義は本日を終えるとあと2回を残すところとなっているのだが、大講義は大講義なりに、そして演習は演習なりに、学生の学びと成長を実感することができる。総じて、それは態度と言語に出る。板書しかしない、もっと言えば机の上に鞄を置いていた学生たちが未来の自分への「ネタ帳」よろしく積極的にメモを取り、コミュニケーションペーパーと呼んでいるシートには授業時間以外に得た体験や知見をもとに質問やコメントを綴り、何より学生どうしが直接対話をする機会には自ら進んで他者に働きかけていく、といった場面を出合うと、フィールドとデスクの両方が大事であることにどうしたらより関心が向くか、さらなる工夫を重ねたくなる。そんなこともあり、サービスラーニングセンターでは自分の伸びしろに関心が向くように、「自分で自分の可能性を閉ざさないで」と、大学と大学以外への「糊しろ」を手を変え品を変え、呈示しているのである。

2013年7月1日月曜日

「引き継ぐこと」と「受け継ぐこと」

1年の半分が過ぎた。昔は6月の衣替えで詰め襟の学生服から白の開襟シャツとなるなど、季節の移ろいに応じて、身のまとい方と周囲の風景の変化が同調していた。ことさらに地球温暖化の影響に触れたくはないが、結果として定着してきたクールビズ、はたまた節電の取り組みなどにより、場所によって室内と外気の温度差が多様になってきているように思う。ある場所では寒すぎると感じることもあれば、ある場所では夏の到来を確かなものとして覚えるときもあろう。

そんな7月1日は、6月末までにしなければならなかったことを、どのようにやり遂げるのかを見つめる一日となった。朝からは京都市役所に赴き、理事長を仰せつかっているNPO法人(インドネシアのジョクジャカルタ特別区と京都府の有効府州提携をもとにした、二地域間での手仕事の協働事業の推進組織「てこらぼ」)が3月決算であるがゆえに、締め切り当日の事業報告書類を提出した。窓口での対応を通じて、抱え込む傾向にある自分を反省すると共に、行政職の方の文言、さらには一言一句への固執に対し、いい意味で仕事への向き不向きを考えさせられた。ともあれ、無事、受理がなされた後は立命館大学衣笠キャンパスに向かい、東日本大震災の復興関係で村本邦子先生と打ち合わせ、共通教育総合センター会議、サービスラーニングセンター学生コーディネーター月一ミーティングと、建物を渡り歩く午後となった。

こうして多くの場に足を運ぶ中、「引き継ぐこと」と「受け継ぐこと」は異なる、ということを伝える機会があった。具体的には、サービスラーニングセンターの学生スタッフである「学生コーディネーター」の中核メンバーとの対話の中で、夏休み以降の組織運営体制についての議題が出たとき、である。学生による組織というのは、基本的な修学年数である4年というサイクルが、運営基盤にある種の波をもたらすことがある。よって、代が変われど、誰が要職に就こうと、「引き継いでいかねばならないこと」があるのだが、逆に執拗に「受け継いでいかねばならないこと」があるわけではない、そう捉えている。

なぜなら「引き継ぐこと」は個人ではなく立場で行うものであり、「受け継ぐ」ことは立場に就いた個人で行うものと言えるからだ。すなわち「引き継ぐかどうか」は継承する(引き継ぐ)側も継承される(引き継がれる)側の趣向にかかわらず必要とされるが、「受け継ぐかどうか」は継承する(受け継いで欲しいと思う主体)側の決意や態度よりも継承される(受け継がれて欲しいと思う対象)の意思や素養に左右される。引き継ぎ方や受け継ぎ方も、いずれも組織の文化であることに変わりはないが、引き継ぎは組織の制度(システム)であるのに対して、受け継ぎは組織の様式(スタイル)である、そんなことを、久しぶりに赴いた、路地の奥の隠れ家のようなお店で、お世話になった建築士の方と夜のお食事を共にしつつ、夜な夜な考える2013年の折り返し地点の一日であった。