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2013年7月1日月曜日

「引き継ぐこと」と「受け継ぐこと」

1年の半分が過ぎた。昔は6月の衣替えで詰め襟の学生服から白の開襟シャツとなるなど、季節の移ろいに応じて、身のまとい方と周囲の風景の変化が同調していた。ことさらに地球温暖化の影響に触れたくはないが、結果として定着してきたクールビズ、はたまた節電の取り組みなどにより、場所によって室内と外気の温度差が多様になってきているように思う。ある場所では寒すぎると感じることもあれば、ある場所では夏の到来を確かなものとして覚えるときもあろう。

そんな7月1日は、6月末までにしなければならなかったことを、どのようにやり遂げるのかを見つめる一日となった。朝からは京都市役所に赴き、理事長を仰せつかっているNPO法人(インドネシアのジョクジャカルタ特別区と京都府の有効府州提携をもとにした、二地域間での手仕事の協働事業の推進組織「てこらぼ」)が3月決算であるがゆえに、締め切り当日の事業報告書類を提出した。窓口での対応を通じて、抱え込む傾向にある自分を反省すると共に、行政職の方の文言、さらには一言一句への固執に対し、いい意味で仕事への向き不向きを考えさせられた。ともあれ、無事、受理がなされた後は立命館大学衣笠キャンパスに向かい、東日本大震災の復興関係で村本邦子先生と打ち合わせ、共通教育総合センター会議、サービスラーニングセンター学生コーディネーター月一ミーティングと、建物を渡り歩く午後となった。

こうして多くの場に足を運ぶ中、「引き継ぐこと」と「受け継ぐこと」は異なる、ということを伝える機会があった。具体的には、サービスラーニングセンターの学生スタッフである「学生コーディネーター」の中核メンバーとの対話の中で、夏休み以降の組織運営体制についての議題が出たとき、である。学生による組織というのは、基本的な修学年数である4年というサイクルが、運営基盤にある種の波をもたらすことがある。よって、代が変われど、誰が要職に就こうと、「引き継いでいかねばならないこと」があるのだが、逆に執拗に「受け継いでいかねばならないこと」があるわけではない、そう捉えている。

なぜなら「引き継ぐこと」は個人ではなく立場で行うものであり、「受け継ぐ」ことは立場に就いた個人で行うものと言えるからだ。すなわち「引き継ぐかどうか」は継承する(引き継ぐ)側も継承される(引き継がれる)側の趣向にかかわらず必要とされるが、「受け継ぐかどうか」は継承する(受け継いで欲しいと思う主体)側の決意や態度よりも継承される(受け継がれて欲しいと思う対象)の意思や素養に左右される。引き継ぎ方や受け継ぎ方も、いずれも組織の文化であることに変わりはないが、引き継ぎは組織の制度(システム)であるのに対して、受け継ぎは組織の様式(スタイル)である、そんなことを、久しぶりに赴いた、路地の奥の隠れ家のようなお店で、お世話になった建築士の方と夜のお食事を共にしつつ、夜な夜な考える2013年の折り返し地点の一日であった。

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