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2015年10月21日水曜日

言葉記念日

今日は記念日にしよう、朝からそんな風に思っていた。きっかけは大好きな映画、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(BTTF)であり、主人公らが向かう先が2015年10月21日であったためだ。1985年に劇場公開された映画だが、恐らく最初に見たのは実家でビデオデッキで録画したゴールデン洋画劇場での織田裕二さんと三宅裕司さんによる吹き替え版で、その後、パート3を劇場で鑑賞した記憶があるため、恐らく1990年4月7日の初回放送のものだったと思われる。映画の前半から「過去に行く話なのに」と感じ、途中で「未来から過去に戻るのか」と思い直したものの、最後の最後で「あ、そういうことか」と考えを巡らせながら、即座に2015年の世界が描かれたパート2を見た。

BTTFの主人公の一人、マーティーは高校生という設定だった。仮に今ここに、30年前の自分が現れたら、あるいは高校時代の自分が現れたら、などと想像をするに、怖いやら、気持ち悪いやら、である。タイムトリップ、タイムトラベルの話としては「ドラえもん」の方が身近であり、数ある作品の中でも、しょせん未来から自分を連れてきたとしても未来の自分は過去で現在の時間を生きるしかないという「ドラえもんだらけ」や、現在の連続によって過去に想定されていた未来が変わることを痛感させられる「のび太の結婚前夜」など、タイムマシンにまつわる物語は数多く挙げることができる。タイムパラドックスの観点など、原理的、あるいは倫理的な問題については横に置くとして、時間旅行を夢想することは自由であり、楽しい。

そんな歴史的な一日は、大阪での英語のレッスンから始まった。奇しくも発表の当番であり、大韓民国における良心的兵役拒否の話題について、紙芝居方式でのプレゼンテーションをさせていただいた。その後は母校であり自らの学舎であった、立命館大学びわこ・くさつキャンパスでの講義だった。4限の「地域参加学習入門」では、学生時代に携わった「地域通貨おうみ」の事例を取り上げ、5限には今年で11回目を数える「草津街あかり・華あかり・夢あかり」でのボランティア活動を組み込んだサービスラーニング科目「シチズンシップ・スタディーズI」で、学生たちの議論を見守った。

そうして、いくつかの地域と空間を移動する中で、ふと、これまで伝えられなかったことを伝える日にしてもいいのではないか、などと思ったのである。まるで斉藤和義さんの「歌うたいのバラッド」の歌詞のようだが、そんなに格好のいいものではない。30年前、あるいは高校時代の自分がそこにいたらどう思うだろう、なんて思いもせず、大切な人を大事にするということがいかに難しく、しかし大事なときに言葉にしなければいけないのだ、ということを、ただただ思うのであった。そんな一日のあいだに、清原和博さんにまつわる記事にて、寺山修司さんが述べたという「時計の針が前に進むと時間に、後ろに戻ると思い出になる。」という言葉が得られたから(ということもあって)今日は私にとっての言葉記念日にしよう。


2015年10月4日日曜日

家のお手入れ

電車で移動することが多い私は、日々、肌のお手入れに余念がない方に遭遇するのだが、果たしてどれくらいの方が家のお手入れをしているのだろう。もっとも、コンクリート造の建築であれば、何らかの手入れを個人でする必要はないのかもしれない。しかし、こと木造となると、折に触れ手入れが欠かせない。そして、今、木造の2軒長屋に住まわせていただいている私も、その例外ではない。

生まれ育った家もまた木造だった。滅茶苦茶に古い家ではなかったが、昭和40年代に一人の大工さんを中心に建てられたという家を、家人たちはよく手入れをしていた。ベランダの木の張り替えや、屋根のペンキの塗り替えなど、できるところは家族で手伝いながら行っていた。それぞれに数年に一度のことだが、一気に行うと手間がかかるので、同じ年に重ならないよう、具合を見ながら手を入れていた。

既に2年ほど住まわせていただいている現在の家は、家賃に便宜を図っていただいていることもあって、住まいはじめの当初から徐々に手を入れさせていただいている。京都大学の高田光雄先生は、一部の現代建築による住まい方では断熱性能を上げるために小さな窓しか設けないことなどを指して「魔法瓶住宅」と指摘する。その対極ともいえる京町家は、いくら徒然草で「家の作りやうは、夏をむねとすべし」と言われようが、なかなか冬の寒さはつらい。現在、京都市では省エネリフォーム助成を進めており、今回、その制度を利用した改修をお願いしようかとも考えたものの、どうやらそれよりも先に「まちの匠の知恵を活かした京都型耐震リフォーム」の方が必要な状態にあることがわかった。

この間、多くの縁と知恵に助けられ、住みやすさも高まってきた。同時に住みごたえも感じるようになってきた。今日は久しぶりに外での用務がなかったので、妻と共に道路に面した側の柱などにべんがらを塗る、という作業にあたった。外の用事がないということもあって投稿中の論文の改稿にもあたりたかったのだが作業に疲れ果ててしまい、家の手入れができた一方で、もうちょっと日頃の運動によって身体の手入れをせねば、と反省を重ねる一日となった。


2015年10月3日土曜日

お邪魔して、招き、招かれる。

この20年ほど西日本で暮らしてきた人にとって、三都物語というと、何となく谷村新司さんの歌を想い起こす人も多いのではなかろうか。かつてJR西日本のキャンペーンで用いられたフレーズであり、歌であるためだ。複数のまちで複数の活動拠点がある私は、はからずも三都物語となることがある。ただ、JRが企図したような京都・大阪・神戸ではなく、滋賀・京都・大阪の3つの都市を行き来しているに過ぎない。

今朝は滋賀県、草津から始まった。2010年から立命館大学サービスラーニングセンターの科目にて「草津街あかり・華あかり・夢あかり」でお世話になっているためである。11月の本番まで約1ヶ月、いよいよ準備も佳境となってきた。今年は学生企画により、目線が上に向くあかりの演出をさせていただくこととなったため、草津の名物「うばがもち」などを買い込み、製作作業への陣中見舞いにお邪魔させていただいた。

昼からは大阪、上町台地へと向かった。ココルームとアートNPOリンクと應典院寺町倶楽部の三者共同で行っている「地域に根ざしたアートと文化〜大阪市:地域等における芸術促進事業」のフィールドワークのためである。8月14日のフォーラムに始まった事業は、年末年始に企画されているクロージング企画まで、6つの現場でのまちあるきと、大阪を中心にした活動団体の調査事業が進められることになっている。秋晴れの今日は應典院寺町倶楽部により、上町台地界隈のまちあるきであり、短い時間ということもあって、應典院から源聖坂と学園坂を横目に、口縄坂から生國魂神社方面へ、そしてパドマ幼稚園での演劇ワークショップを見学して、應典院にて対話という行程で楽しいときを過ごさせていただいた。

夜には應典院にて連続企画「まわしよみイスラーム」が行われ、終了して程なく京都へと向かった。「まわしよみイスラーム」はこの4月から始まった連続勉強会である。2012年度のコモンズフェスタを契機に生まれた「まわしよみ新聞」の方法を借り、NPOそーねの皆さんと共に「わかっていないことが何なのかがわかる」よう、報道を手がかりにイスラームについて語り合う場も、今回で4回目となった。参加者の皆さんのあたたかさに浸りながら向かったのは、尾角光美さんの京都での披露宴の二次会で、臨床宗教師の方がバーテンダーを務める祇園のバーであり、新婚夫妻と法然院の梶田真章貫主にお招きをいただき、3つのまちを巡った一日は、京の都にて新しい日付を迎えてなお楽しませていただいた。

2015年10月2日金曜日

トリガー

例えば戦略にしてもシンクタンクにしても、何かを分析し目標を定め計画を練るといった行為を表す言葉には、軍事用語として用いられたものが多い。この夏、異例の会期延長により国会で審議されてきた「平和安全法制」の整備にあたり、よく用いられた兵站という言葉もその一つである。このような言葉は当初は比喩として用いられるが、やがて用いられた対象にあわせて新たな意味をまとい、軍事以外の場面で定着していくことになる。比喩を手がかりにネットワーク組織のグループ・ダイナミックスを検討してきたこともあり、興味深いテーマである。

銃の引き金を意味するトリガーという言葉また、ある種、日常生活の中で用いられる言語になったものの一つであろう。今日は朝から衣笠キャンパスに向かい、サービスラーニングセンターによるインターンシップ・プログラムの最終報告会のあり方について議論し、投稿中の査読付論文を改稿するにあたり共著者との打合せと続いた。そして、お昼はキャンパス東門近くのお店でいただいたが、久しぶりに入ったそのお店は、今はお昼は日替わりしか扱っていないようで、座るなりメニューが決まっているもようであった。よって、このお店では、お客さんが来て座るという行為が、食事を用意するトリガーとなっている、と表現できる。

午後からは朱雀キャンパスで災害復興支援室の事務局会議であった。災害復興支援室は2011年4月21日に設置されるにあたり、立命館における2011年度から2020年度までの中長期ビジョン「R2020」の前半期課題の一つを担うこととされた。もちろん、現地は救援・復旧から復興のモードとなって久しい。しかし、大規模・広域・複合型災害ということもあって、各地域との関わりを一律に5年という区切りでやめてしまうなどといったことは、真にもって、こちらの都合に他ならない。この夏、宮古では新たに整備される「道の駅たろう」にて仮設集会所ODENSEの建設を重ねてきた理工学部の宗本晋作先生の取り組みが評価されたことで研究室を中心に産直品の販売施設が建設され、大船渡の盛町灯ろう七夕まつりでは「立命館大学」の名が入った大きな提灯が飾られた山車がまちを引き回され、気仙沼では唐桑の鮪立湾を見渡す素敵な場所にツリーハウスが建設され、それらをトリガーとして、新たな支援のモードと、具体的なメニューが求められている段階にある。

そして夜は、阪神・淡路大震災当時に共に活動したボランティア仲間の縁結びにより、長岡京でこれからの市民活動を考える講演会の基調講演の講師に招いていただいた。およそ3年前から、現場に注力しようという思いを理解いただき、外部の委員や講演については遠慮をさせていただいてきている。10団体から45名の参加により、満場となった会場の風景は、市民活動を支えるのは市民であるという自らの原点を想い起こすトリガーとなり、いただいた1時間で精一杯お話をさせていただいた。講演の後、5団体から活動紹介のリレーが続いたが、その後、ささやかなコメントを述べると、多くの方に名刺を求めていただくという、つながりのひろがりにありがたさを思うご縁となった。


2015年10月1日木曜日

新暦10月1日

1年の中でも10月1日という日付は、特に注目が集まる。最近、朝はラジオで迎えることが多いのだが、ここでも複数の事柄が取り上げられていた。よくあるのは「2015年も残すところ、あと3ヶ月となりました」という、カウントダウン系である。一方で、一日が終わりに近づくと、インターネットのSNSでは、「天下一品祭」の終わりを祝う写真や憂う言葉を散見した。

私は経験をしていないが、10月1日は多くの企業で内定式が催されているようだ。朝、應典院に向かう列車の中では、ブラウスのボタンの留め方はこれでいいのか、履歴書の写真のサイズはどうか、など初々しい会話が目の前で重ねられていった。この2人は所属大学こそ違えど、大阪の大手旅行代理店から共に内定が得られたようである。途中、いわゆるスマホで内定式への指示内容を確認したところ、書式が間違っていることに気づいたようで、慌てて「どうしよう?」などと語りあっていたが、こうして全ての会話が静かな車内で繰り広げられ続けていたことに、もう少し関心を向けて欲しいものである。

ふと、昨晩に應典院で開催された連続講座「ビヨンド・サイレンス」で話題提供をいただいた戸松義晴先生の言葉が想い起こされた。この企画は、オウム真理教事件から20年を迎えた今年、秋田光彦住職により関西学院大学の白波瀬達也先生の協力を得て展開されているものです。昨日が4回目、テーマは「伝統教団の憂鬱と希望」であった。自坊・心光院の住職を務めつつ、全日本仏教会の理事で浄土宗総合研究所主任研究員でもある戸松先生は、今後の日本仏教の担い手に「覚悟する教育」が求められるとし、「いやいや何かをやっている人は、周りから見てすぐわかる」と踏まえた上で、「医者でも弁護士でも、なるのが難しいから尊敬される部分もある」と語り、檀信徒を思い、檀信徒から思われる宗教者の有り様を希望の一つとして示された。

10月1日、以前は衣替えの契機でもあった。昨日の会では夏の法衣を召されていた戸松さんの言葉が、新しい世界へ飛び込む若者たちの会話に妙に重なった。スーパームーンに湧いた数時間を考えると、旧暦で物事を考えた方がよいのではないか、などという思索にもふけった。應典院の隣にあるパドマ幼稚園の玄関の言葉も掛け替えられた、そんな10月1日の思考をここに、つれづれなるままに言葉にしておこう。