今日は記念日にしよう、朝からそんな風に思っていた。きっかけは大好きな映画、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(BTTF)であり、主人公らが向かう先が2015年10月21日であったためだ。1985年に劇場公開された映画だが、恐らく最初に見たのは実家でビデオデッキで録画したゴールデン洋画劇場での織田裕二さんと三宅裕司さんによる吹き替え版で、その後、パート3を劇場で鑑賞した記憶があるため、恐らく1990年4月7日の初回放送のものだったと思われる。映画の前半から「過去に行く話なのに」と感じ、途中で「未来から過去に戻るのか」と思い直したものの、最後の最後で「あ、そういうことか」と考えを巡らせながら、即座に2015年の世界が描かれたパート2を見た。
BTTFの主人公の一人、マーティーは高校生という設定だった。仮に今ここに、30年前の自分が現れたら、あるいは高校時代の自分が現れたら、などと想像をするに、怖いやら、気持ち悪いやら、である。タイムトリップ、タイムトラベルの話としては「ドラえもん」の方が身近であり、数ある作品の中でも、しょせん未来から自分を連れてきたとしても未来の自分は過去で現在の時間を生きるしかないという「ドラえもんだらけ」や、現在の連続によって過去に想定されていた未来が変わることを痛感させられる「のび太の結婚前夜」など、タイムマシンにまつわる物語は数多く挙げることができる。タイムパラドックスの観点など、原理的、あるいは倫理的な問題については横に置くとして、時間旅行を夢想することは自由であり、楽しい。
そんな歴史的な一日は、大阪での英語のレッスンから始まった。奇しくも発表の当番であり、大韓民国における良心的兵役拒否の話題について、紙芝居方式でのプレゼンテーションをさせていただいた。その後は母校であり自らの学舎であった、立命館大学びわこ・くさつキャンパスでの講義だった。4限の「地域参加学習入門」では、学生時代に携わった「地域通貨おうみ」の事例を取り上げ、5限には今年で11回目を数える「草津街あかり・華あかり・夢あかり」でのボランティア活動を組み込んだサービスラーニング科目「シチズンシップ・スタディーズI」で、学生たちの議論を見守った。
そうして、いくつかの地域と空間を移動する中で、ふと、これまで伝えられなかったことを伝える日にしてもいいのではないか、などと思ったのである。まるで斉藤和義さんの「歌うたいのバラッド」の歌詞のようだが、そんなに格好のいいものではない。30年前、あるいは高校時代の自分がそこにいたらどう思うだろう、なんて思いもせず、大切な人を大事にするということがいかに難しく、しかし大事なときに言葉にしなければいけないのだ、ということを、ただただ思うのであった。そんな一日のあいだに、清原和博さんにまつわる記事にて、寺山修司さんが述べたという「時計の針が前に進むと時間に、後ろに戻ると思い出になる。」という言葉が得られたから(ということもあって)今日は私にとっての言葉記念日にしよう。
BTTFの主人公の一人、マーティーは高校生という設定だった。仮に今ここに、30年前の自分が現れたら、あるいは高校時代の自分が現れたら、などと想像をするに、怖いやら、気持ち悪いやら、である。タイムトリップ、タイムトラベルの話としては「ドラえもん」の方が身近であり、数ある作品の中でも、しょせん未来から自分を連れてきたとしても未来の自分は過去で現在の時間を生きるしかないという「ドラえもんだらけ」や、現在の連続によって過去に想定されていた未来が変わることを痛感させられる「のび太の結婚前夜」など、タイムマシンにまつわる物語は数多く挙げることができる。タイムパラドックスの観点など、原理的、あるいは倫理的な問題については横に置くとして、時間旅行を夢想することは自由であり、楽しい。
そんな歴史的な一日は、大阪での英語のレッスンから始まった。奇しくも発表の当番であり、大韓民国における良心的兵役拒否の話題について、紙芝居方式でのプレゼンテーションをさせていただいた。その後は母校であり自らの学舎であった、立命館大学びわこ・くさつキャンパスでの講義だった。4限の「地域参加学習入門」では、学生時代に携わった「地域通貨おうみ」の事例を取り上げ、5限には今年で11回目を数える「草津街あかり・華あかり・夢あかり」でのボランティア活動を組み込んだサービスラーニング科目「シチズンシップ・スタディーズI」で、学生たちの議論を見守った。
そうして、いくつかの地域と空間を移動する中で、ふと、これまで伝えられなかったことを伝える日にしてもいいのではないか、などと思ったのである。まるで斉藤和義さんの「歌うたいのバラッド」の歌詞のようだが、そんなに格好のいいものではない。30年前、あるいは高校時代の自分がそこにいたらどう思うだろう、なんて思いもせず、大切な人を大事にするということがいかに難しく、しかし大事なときに言葉にしなければいけないのだ、ということを、ただただ思うのであった。そんな一日のあいだに、清原和博さんにまつわる記事にて、寺山修司さんが述べたという「時計の針が前に進むと時間に、後ろに戻ると思い出になる。」という言葉が得られたから(ということもあって)今日は私にとっての言葉記念日にしよう。
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