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2015年10月4日日曜日

家のお手入れ

電車で移動することが多い私は、日々、肌のお手入れに余念がない方に遭遇するのだが、果たしてどれくらいの方が家のお手入れをしているのだろう。もっとも、コンクリート造の建築であれば、何らかの手入れを個人でする必要はないのかもしれない。しかし、こと木造となると、折に触れ手入れが欠かせない。そして、今、木造の2軒長屋に住まわせていただいている私も、その例外ではない。

生まれ育った家もまた木造だった。滅茶苦茶に古い家ではなかったが、昭和40年代に一人の大工さんを中心に建てられたという家を、家人たちはよく手入れをしていた。ベランダの木の張り替えや、屋根のペンキの塗り替えなど、できるところは家族で手伝いながら行っていた。それぞれに数年に一度のことだが、一気に行うと手間がかかるので、同じ年に重ならないよう、具合を見ながら手を入れていた。

既に2年ほど住まわせていただいている現在の家は、家賃に便宜を図っていただいていることもあって、住まいはじめの当初から徐々に手を入れさせていただいている。京都大学の高田光雄先生は、一部の現代建築による住まい方では断熱性能を上げるために小さな窓しか設けないことなどを指して「魔法瓶住宅」と指摘する。その対極ともいえる京町家は、いくら徒然草で「家の作りやうは、夏をむねとすべし」と言われようが、なかなか冬の寒さはつらい。現在、京都市では省エネリフォーム助成を進めており、今回、その制度を利用した改修をお願いしようかとも考えたものの、どうやらそれよりも先に「まちの匠の知恵を活かした京都型耐震リフォーム」の方が必要な状態にあることがわかった。

この間、多くの縁と知恵に助けられ、住みやすさも高まってきた。同時に住みごたえも感じるようになってきた。今日は久しぶりに外での用務がなかったので、妻と共に道路に面した側の柱などにべんがらを塗る、という作業にあたった。外の用事がないということもあって投稿中の論文の改稿にもあたりたかったのだが作業に疲れ果ててしまい、家の手入れができた一方で、もうちょっと日頃の運動によって身体の手入れをせねば、と反省を重ねる一日となった。


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