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2015年10月1日木曜日

新暦10月1日

1年の中でも10月1日という日付は、特に注目が集まる。最近、朝はラジオで迎えることが多いのだが、ここでも複数の事柄が取り上げられていた。よくあるのは「2015年も残すところ、あと3ヶ月となりました」という、カウントダウン系である。一方で、一日が終わりに近づくと、インターネットのSNSでは、「天下一品祭」の終わりを祝う写真や憂う言葉を散見した。

私は経験をしていないが、10月1日は多くの企業で内定式が催されているようだ。朝、應典院に向かう列車の中では、ブラウスのボタンの留め方はこれでいいのか、履歴書の写真のサイズはどうか、など初々しい会話が目の前で重ねられていった。この2人は所属大学こそ違えど、大阪の大手旅行代理店から共に内定が得られたようである。途中、いわゆるスマホで内定式への指示内容を確認したところ、書式が間違っていることに気づいたようで、慌てて「どうしよう?」などと語りあっていたが、こうして全ての会話が静かな車内で繰り広げられ続けていたことに、もう少し関心を向けて欲しいものである。

ふと、昨晩に應典院で開催された連続講座「ビヨンド・サイレンス」で話題提供をいただいた戸松義晴先生の言葉が想い起こされた。この企画は、オウム真理教事件から20年を迎えた今年、秋田光彦住職により関西学院大学の白波瀬達也先生の協力を得て展開されているものです。昨日が4回目、テーマは「伝統教団の憂鬱と希望」であった。自坊・心光院の住職を務めつつ、全日本仏教会の理事で浄土宗総合研究所主任研究員でもある戸松先生は、今後の日本仏教の担い手に「覚悟する教育」が求められるとし、「いやいや何かをやっている人は、周りから見てすぐわかる」と踏まえた上で、「医者でも弁護士でも、なるのが難しいから尊敬される部分もある」と語り、檀信徒を思い、檀信徒から思われる宗教者の有り様を希望の一つとして示された。

10月1日、以前は衣替えの契機でもあった。昨日の会では夏の法衣を召されていた戸松さんの言葉が、新しい世界へ飛び込む若者たちの会話に妙に重なった。スーパームーンに湧いた数時間を考えると、旧暦で物事を考えた方がよいのではないか、などという思索にもふけった。應典院の隣にあるパドマ幼稚園の玄関の言葉も掛け替えられた、そんな10月1日の思考をここに、つれづれなるままに言葉にしておこう。


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