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2007年11月16日金曜日

「上書き保存」型マニフェスト〜橋爪紳也さんの挑戦

マニフェストということばは、この5年のあいだに、爆発的な勢いで世の中に浸透した。語源を辿ってみると、ラテン語に由来するものであるそうだ。ラテン語の「手」を意味する「manus」と「打つ」を意味する「fendere」が、やがてイタリア語「manifesto」になったという。日本語で「手打ち」と言えば、関係の成立(手打ち式)、丁寧に行うこと(手打ちうどん)、落ち度があったものに対して成敗すること(手打ち、あるいは手討ちにいたす)などの意味があるが、あながちそこからはずれていない。

 要するに、マニフェストというのは、何らかの形で整理、まとめ、立場を明らかにすることだ。2003年の公職選挙法の改正も相まって、さらには三重県知事であった北川正恭さんが範とした英国の総選挙の実践から学ぶことを通じて、政党も候補者も、出馬にあたってマニフェストを作成することが当然という状況になった。これまでの公約と異なるのは、広報用のリップサービスではなく、自らが就いた暁にはどのような政策を実現していくのか、目標を掲げて宣言するところにある。そして候補者の動きのみならず、そうした取り組み自体を支援する団体も生まれている。

 例えば「ローカル・マニフェスト推進ネットワーク」(http://www.local-manifesto.jp/network)は、北川正恭さんが代表を務める、マニフェスト作成の支援や評価を行うと同時に、マニフェスト型公開討論会の開催に取り組む団体である。実際、この大阪市長選挙にあたっても、10月27日の13時から、阿倍野区民センターにて公開討論会が開催されている。私もまた、その場に参加させていただいた。これまでの実績をアピールする方、今後の大阪を弁舌さわやかに話す方、独善的な采配が行われることの問題点を指摘する方、など、それぞれの主張の中で、極めて論理的に、マニフェストを説明しようとした候補に好感が寄せられた。それは橋爪紳也さんだ。

 事実、今回大阪市長選に立候補した橋爪紳也さんのマニフェストは、その原語的な意味としての「手打ち」に相当するものだ。その象徴は、出馬表明に続いて発表されたマニフェストが、市民との対話の機会を積極的に設けることにより、公示日までに2回の「バージョンアップ」を図ったことである。私が名付けるところ「上書き保存形式」でのマニフェストの作成、発表、更新は、全国初の取り組みだという。こうした対話の有り様に大いなる感銘を受けた人は少ないはずもなく、それが11月14日の橋爪紳也さんに関する「政談演説会」もなされているので、以下、私の師である秋田光彦さんの演説を紹介させていただきたい。



 なお、

http://homepage.mac.com/yamaguchihironori/20071114akitamitsuhiko.mp3



で、現場での演説の様子を伺い知ることができる。



 また、橋爪紳也さんのマニフェストは、



<トップページ>

http://www.hashizumeshinya.net



<バージョン0.9:2007.9.27>

http://www.hashizumeshinya.net/pdf/manifesto_ver09.pdf

<バージョン0.95:2007.10.18>

http://www.hashizumeshinya.net/pdf/manifesto_ver095.pdf

<バージョン1.0:2007.10.25>

http://www.hashizumeshinya.net/pdf/manifesto_ver1.pdf



と、その変遷を辿ることができる。



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 私の出身であります上町台地には、大阪の古いものがたくさんございます。大阪城があって、四天王寺があって、お寺や長屋の街並みがあります。

 そういったものを、単なる古ぼけた文化資源ではなくて、現代の都市には必要なものなんだと初めて見抜いたのは橋爪紳也さんです。どこかで忘れられてしまったような、まちの中の取り残されたそういう文化が、実はこれからの大阪の一番魅力になる、大阪の創造性の源なんや、大阪の元気の素なんや、と、はっきりと断言したのが橋爪さんです。

 不思議に思いませんか?人間はね、路地を歩くとね、なぜかこう、楽しくなります。水辺を歩けば気持ちがやさしくなる。長屋に暮らせば、人に親切になります。寺町に行ったら、なんとなく大らかになります。そういう昔から引き継がれてきた、そういう生活の中に根付いたものの中にこそ、人間の本当の豊かさが、生活が、暮らしがある。

 それはどういうことかと言うと、橋爪さんがそもそも私たち市民一人ひとりに対して、非常に大きな生活者としての尊敬を持っている、リスペクトを持っていらっしゃるからです。そういう考え方の要因と言いますか、そういう考え方っていうのは、別に勉強して身に付くものじゃないんですよ。私、かねがねずっと不思議だったんですが、橋爪さんの生い立ちを聞いて「ああ、なるほど」と納得しました。

 よくご承知のように橋爪さんは、旧南区の島之内、建築塗装業の息子さんでいらっしゃいます。昭和35年生まれ。当時はね、たくさんの住み込みの職人さんがいらっしゃったそうですよ。家族だけではなくって、いろんな、たぶん職人さんのヘンコな人もいっぱいいたと思うんですが、そういうたくさんの、様々な人の中に揉まれながら育っていった。つまり、人間にはいろんな人がいるんや、人間にはいろんな多様性があるんや、ということを、ご自分の生い立ちの中で体得していただいた。

 と同時にね、塗装という仕事は技ですよ。職人は技です。技術というものを親方からお弟子さんへ引き継いでいく。技というのは人から人へ伝えなくては滅んでしまうんです。あるいは、伝えていくたびに、新しく、こう、技術を革新していかないと、また滅んでいくわけです。そういう、古いものをただ丸ごと保護の対象にしてしまうのではなくって、それを磨きながら、書き換えながら、新しい時代に届けていこうとする姿勢こそ、橋爪紳也さんの人間に対するまなざし、あるいは私たちのまち大阪に対する一貫した橋爪さんの姿勢だと、私は思います。

 これまで、ご承知のように橋爪さんは大阪の数々のまちなみに関わってこられました。水辺であったり、船場であったり、堀江であったり、法善寺横町であったり、上町台地であったり、まちの中に根付いてきたものを、引き継がれてきたものを、あるいはその暮らしや生活の中にある技みたいなものを、次の世代へ、次の世代へと、意識して伝えてきてくださいました。

 今橋爪さんが言っている文化産業も同じですよ。アートとか、コミュニティ・ビジネスとか、デザインとか、社会起業とか、そういったものを全部、人の働き方や活かし方にいちばんやさしい技とはいったい何なんだろうということを、彼は私たちにメッセージしようとしているわけです。

 橋爪さんはそういう丁寧な視線、人間に一番近い視線で、大阪をずっと見つめてきてくださいました。私はそういう橋爪さんを、心から信頼していますし、そういう人こそ、大阪のこれからの本当のリーダーにふさわしいと思っているんです。

 この、さっきから話題に出てますマニフェストを読んで、私は感動しました。こんな心強い、心のこもった挑戦者の呼びかけを今まで聞いたことがない。と同時にね、これを読んで、「あ、われわれはやらなあかんねん」市民に対する橋爪さんの敬意、リスペクトをひしひしと感じながら、私たちもまた、この大阪のまちを良くしていくために立ち上がらなあかんねん、ということを、つくづくとこのマニフェストを読ませてもらって感じた次第です。

 皆さん、私が言っていることがもし、本当にそうやと思った方は、これから一つひとつ、問いかけしていきますから、ぜひ「そうだ!」と声を掛けてもらいたいと思います。いいですか?

 私たちは、ようやく対等にわたりあえる、語り合える、向き合える市長候補を得ました。どうですか?「そうだ!」

 政党や組織に寄りかかるのではなくって、本当の真のリーダーとして向き合える人と出会った。どうですか?「そうだ!」

 これからの大阪の希望を語り合うことのできる人と出会った。どうですか?「そうだ!」

 次の世代へ、若者や子どもたちにも、大阪の夢を届けることのできる人に、私たちは出会った。どうですか?「そうだ!」

 どうか、18日の投票日まで、みんなの力で橋爪さんを応援しましょう。そして、家族のみんなや、学校のみんなや、職場の、そして私たちのまちの友達や、みんなに橋爪紳也の名を届けて、立派な市長として、私たち全員応援していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。