あの日の朝、「大変、お父さんが…」という母親からの電話で、いつか覚悟したことが現実となったことを察知した。その電話は救急車の車内からで、その電話を私は自宅近くのバス停で受けた。折しも実家に帰省するために、妻と向かうところであった。「とにかく最速で行く」と伝えて、京都駅へと向かった。
車で行くことも検討したが、結果として予約していた「ひかり502号」で向かうのが最速と判断した。11時13分に浜松駅に着くと、弟から電話で「(心肺停止となった状態からの)処置をさっきやめてもらった」との報告を受けた。搬送先の病院に近いのはJR磐田駅で、そこからバスで向かうということもできたが、浜松駅からタクシーで向かった。「いち早く」という思いでタクシーで直行することにしたものの、安全運転に努める運転手さんだったこともあって、「運転を代わって欲しい」という思いさえ抱いた瞬間もあった。
「のぞみはありませんが ひかりはあります」ということばがある。河合隼雄先生が駅で耳にしたエピソードとして知られており、江田智昭さんが紹介する「お寺の掲示板」(例えば、https://diamond.jp/articles/-/182186)などを通じてより広く知られているのではなかろうか。あの日、「ひかり」で向った先に、生存の「のぞみ」はなかったものの、最期を迎えた救急救命センターには足を運ぶことができ、懸命の処置をしていただいたスタッフの皆さんにお礼を伝えることはできた。今思えば、安全運転で向かったタクシーは、電車やバスのように他者の目線や声、また案内のアナウンスなどから離れて、無の時間を過ごすことができたことで、穏やかな気持ちのもとで「その日」を迎えさせてくれたのだと、2年の月日をしみじみ思う。
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