ブログ内検索

2024年1月4日木曜日

母校

父の命日は実家に1泊した。弟と過ごした時間はわずかだったが、母からは細々とした作業を頼まれ、結果として話も多岐にわたった。中でも「お父さんが京都で就職することを猛反対した理由が今になってわかった」という言葉が印象的だった。改めて「長男」という立場は今なお重くのしかかっている、そんな気がした。

そして今日は母校の1つ、静岡県立磐田南高等学校に足を運んだ。2023年4月から新校舎での授業がなされ、思い出の旧校舎が取り壊しとなることもあって、である。新校舎の建設については私が在校しているあいだにも議論になっていたものの、国の特別史跡に指定されてる国分寺遺跡が隣接していることもあって、長きにわたって工事の計画が進められなかった。ただ、調査の結果、(旧)校舎の下には伽藍跡が確認されているため再建築は不可能なものの、グラウンド部分には遺構が確認されなかったため、テニスコートや第2体育館や弓道場を取り壊すことで用地を確保し、敷地内で移転されることになった、という。
(参考:中日新聞「老朽化懸案の磐田南高校舎 敷地内移転へ」2020年1月8日、https://www.chunichi.co.jp/article/47189

ちなみに今日、母校に足を運んだのは、1年時のクラスメートと恩師と共に、である。先生の人柄もあって、気の合うお仲間になっていったこともあって、2年に進級する際には「解散会」をしたクラスでもある。ご縁とは不思議なもので、私たちの担任だった先生と、現在の教頭とが以前、同じ高校で教えていたということもあり、新校舎内の案内もいただいた。高校時代にテニス部だった私は、その思い出の地が新たな歴史を刻んでいく建物となったことを不思議な思いで受け止めた。

こうしてクラスメートと恩師が集まったのも、4年に1度、オリンピック・パラリンピックの開催年に同窓会を、と、8年前に決めたためである。そのきっかけは、卒業20年の際に「学年同窓会」がなされ、さらに翌年、40歳を迎える年に「全体同窓会の当番をする」という役目が回ってくることであった。それらの行事が滞りなく終わったところで、全体同窓会を終えた最初の正月に1年次のクラス会をしよう、という動きとなり、今回で3回目のクラス会、となった。新旧校舎の見学の後は浜松まで繰り出し、校舎は見学しなかった新たなメンバーも合流しての小宴となり、「もう後期高齢者になっちゃったヨ」という恩師を囲み、4年後もまた元気に再会を誓った。




0 件のコメント:

コメントを投稿