令和6年能登半島地震から1週間が経った。京都でこれほどの寒さなら、現地は相当の寒さとなっているだろう。脱水症状で亡くなる可能性が高くなるという理由で発災から72時間が「ゴールデンアワー」と言われているが、今回の災害では「72時間の壁を越えました」などという報道を過去の災害よりも多くなった気がする。もっとも、インターネットで情報収集を続けるうちに、検索エンジンのキュレーションが効いた可能性もある。ただ、無意識のうちにデジタル思考で外形的な基準を求めているのではないか、という見立てもできそうだ。
地震の規模はもとより、その地震の発生した時間、季節、また地理的特性により、被害の程度は言うまでもなく、救援や復興の方法にも違いが出てくる。中でも今回は半島の内陸の直下型地震であり、震源も極めて浅かった。特に奥能登と言われるエリアが道路の寸断によって孤立しているという報道も相次いでいる。奥能登だけでなく、その手前の七尾などでもガソリンや給水(タンク)や(仮設)トイレ関係など、生活を支える各種資源の供給や配備が整っていないという声も複数確認できる。
東日本大震災の後、鷲田清一先生の著作「語りきれないこと」で、震災は震源地から遠く離れた都市生活の脆弱さを露呈させた、といった具合に述べている箇所があった。実際、新潟県中越地震で大きな被害を受けた小千谷市塩谷集落の方々との交流を通して、ペットボトルの水を購入することなく、裏の畑から旬の野菜をいただく、そんな場面に多く触れてきた身としては、都市生活が物流の恩恵に預かっていることを幾度となく痛感してきた。一方、今回の地震では井戸水のくみ上げができずに断水している地域も多いという。静岡で18歳まで過ごしてきた身としては、少しの雪で小さく盛り上がってしまうのが常だが、能登の現状を思うと、喜びよりも痛みに近い感情がこみ上げてくる。
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