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2007年1月10日水曜日

大阪ことば学

 歯医者に行ってきた。例の「小悪魔」に詰め物を奪われた事件から早いもので2日。連休が明けて、早速行ってきた。気は進まなかったが、タイミングを逃して悪化しては意味がないと、相当の決意を固めることにした。

 歯医者に行こうと決めた後で浮かんだ悩みは、行きつけの京都の歯医者にするか、それとも職場の近く、すなわち大阪の歯医者にするか、であった。結論から言うと大阪の歯医者を選択することにした。万が一長引いたとしても、時間に融通が利くためである。加えて、「主治歯科医」を変えてもいいかもしれない、と考えたのは、まもなくやってくる引っ越しのせいもあるのだが、それ以上に、同じ職場で働く方も治療に通っていたため「生の情報が手に入る」ことも大きかった。

 情報収集を経て、利便性が高いということを最大の武器に、予約の電話を入れたところ、それまでの憂慮からやや解放されたと同時に、少しの疑問が湧いた。それは、歯医者と言えば予約制という固定概念に縛られていた私に対して、「いつでも好きな時間に起こし下さい、予約制は取ってませんから」、との声が返ってきたためである。ちなみに電話番号の下4桁は「6480」だった。そう「虫歯ゼロ」であり、このあたりにこの歯医者の奥深さがありそうな気がした。

 電話の際に抱いた疑問は、待合室での極わずかな時間と、治療台に乗ってほどなく解消された。関東系の私であるが「何や、大阪の気のいいおっちゃんやないか」と思わず口に出そうになったのである。それは最初から最後まで貫かれており、まずもって外れた詰め物を差し出し、歯に合わせて少し思案するに「これ、そのまま仕えまっさ」と、簡単な治療の後にセメントで固める段取りを取り始めたのである。あまりに手際よく、その「おっちゃん」先生の段取りに身を置いておくと「何や、ようけ治してはりまんな」と全体を点検いただいた上で「下の歯の奥にある歯石、ほっとくと歯茎痛むし、とっといたほうがええねんけど、どうしましょ?」との声がかかり……うーん、この話は明日に続けることにしよう。





大阪ことば学 第7章 ぼちぼち行こか(抜粋)




 会話はことばのキャッチボールであるという比喩がある。相手のことばをしっかり受けとめて、それを今度はむこうへ投げ返す、それを交互にくり返すのが会話である、というような話が国語の教科書にあったが、これはいかにも東京風の会話であると、中学生のときに思った記憶がある。相手が演じようとしているキャラクター、もって行こうとしている会話の方向をすばやく察知して、先まわりしておいでおいでをしてやる、それが大阪の会話というものである。大阪人のこのような共同作業の積極性、あるいはお調子者ぶりを実験で証明してみせようとしたテレビ番組があった。 JR大阪駅の御堂筋口(旧東出口)前の横断歩道で、赤信号の前に、道路のこちら側にいる信号待ちの人が急にピッチャーの投球モーションの身振りを始めたら、道路のむこう側で同じく信号待ちしている人はどう反応するかという実験である。こちら側の背広の男が頭上に振りかぶったら、向こう側の背広の男がまるで催眠術にかかったかのように、自然に座り込んでキャッチャーの構えをとったのであった。やらせでないことはその後の映像から十分に確認できる。大阪人の共同作業のセンスというのは、これほどのものである。





尾上(1999) pp.108-109



<ハードカバー>





<文庫版>