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2007年1月13日土曜日

コミュニティのグループ・ダイナミックス

 私の専門はグループ・ダイナミックスである。おそらく、多くの方にとって馴染みのないことばであろう。直訳して集団力学とも言い、集団(グループ)の全体的性質(ダイナミックス)に着目するという、社会の心理を取り扱う学問だ。カタカナで標記されていることから、最近盛んになってきた学問と思われそうだが、実は「日本グループ・ダイナミックス学会」は戦後まもなく創設され、既に年次研究大会は53回を数えるに至っている。

 グループ・ダイナミックスにもいくつか流儀がある。それらの流儀を大きく分けるならば「実験系」と「実践系」にまとめることができる。「実験系」は「こうしたらこうなった」「こうするとこうなる」といった「論理」を「実証」する研究とも言える。一方で「実践系」は「こうなるということはこうである」「こうであるからにはこうではないか」といった「社会」の「構成」に基づく研究とも言える。

 私はもっぱら「実践系」であり、グループ・ダイナミックスの祖「クルト・レヴィン」によることば「よい理論ほど実践的なものはない」という考えを愚直に実践している。社会人院生が多いこともあって、同志社大学総合政策科学研究科では、18時25分からの6限目と、20時35分からの7限目、それらの時間帯が主な講義時間となる。仕事の都合などで開始時間に遅れて来られる方もいるものの、終了時間は遙かに延長して皆で議論を重ねま重ねることもしばしばある。今日もその例外ではなく、23時近くまで議論は続き、更に2名の院生と私は、大学近くのお店で極めて遅い食事を取った。

 議論が長くなるのは、自分自身が関わり、日常的に浸っている雰囲気をいかに言語化するかに向き合っているためでもある。言語化と言っても、現場での発言を正確に文字化することを指しているのではなく、実践の意味を抽象化して整理することを指している。抽象的に語ることと曖昧に言葉をぼやかすことが時に混同されるが、両者は「論理的」と「理論的」くらい、似て非なるものがある。少なくとも「理論的に語る」というのは、過去の知見に学び、さらに現場から新たな知見を紡ぐという、「理論」を道具として活用して物事、出来事を整理することなのだ。





コミュニティのグループ・ダイナミックス

第1章 グループ・ダイナミックス

3 グループ・ダイナミックスの理論(抜粋) 





 グループ・ダイナミックスは、集合体の動態(集合流)をどのような理論でとらえるのか。もちろん、グループ・ダイナミックスの理論は、担当者と当事者による協同的実践のための理論でなければならない。

 ここで、集合体を、空気の流れ(気流)の中を飛んでいる飛行機にたとえてみよう。飛行機は集合体のたとえであるから、飛行機には集合体の環境も包含される。飛行機は、気流の中を飛んでいる。しかし、飛行機のなかのだれにも、飛行機を包み込んで動く気流の全体像を見ることはできない。それに、気流は無色透明。そもそも見ることはできない(実際は、気流に関する情報を管制塔から送られてくるが、それは考えないこととしよう)。

 しかし、飛行機のパイロットが、気流について何の手がかりもなしに飛行機を操縦しているのではない。多くの計器を見ながら、操縦している。また、乗客も、窓をつたい走る水滴を見ながら、気流について何かを知ることができる。

 集合体は、気流ならぬ、変化する規範の中にある−−これは、直接見ることはできない。しかし、他方では、集合体の人々には、変化する行為の場(人々や環境)が見える形で広がっている。集合体の動態(集合流)は、見える側面(観察できる側面)と見えない側面(観察できない側面のそれぞれから理論的に把握することが必要だ。

 見える側の理論はデシジョン・メーキング(decision-making)のための理論、見えない側面の理論はセンス・メーキング(sense-maikig)のための理論と言ってもよい。協同的実践は、意識的、無意識的なデジジョン・メーキング(意思決定)の連続だ。見えるものを徹底的に見抜いて、それらをどうするか、次の一歩を定めていく。そのためには、いかに見るべきかを教えてくれる理論が必要だ。

 一方、現在までを十分理解、納得すること−−センス・メーキング(腑に落ちること)−−も重要である。決して、後ろ向きの話ではない。過去から現在に関する「腑に落ちかた」は、将来に向かっていかに進むかを大きく左右する−−昨日まで何の気なしにとっていた行為が、実は障害者を傷つけていたと腑に落ちれば、明日からの行為は自ずと変化するだろう。「そうか、自分たちがやってきたこと、やっていることは、そういうことだったのか」と、目から鱗が落ちるようなセンス・メーキングをもたらす理論も必要だ。



杉万(2006) pp.44-45