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2007年1月19日金曜日

Tomorrow Never Knows

 Macユーザーである。おそらく、かなり使いこなしている方だと思う。ユーザー歴も長く、1994年、つまり大学1回生の時代から使っている。中学時代はPC-8801シリーズとPC-9801シリーズでゲームをしまくり、高校時代はCANOWORDαシリーズで文書を作りまくってきたが、大学に入っていきなりUNIX(SONY NEWSシリーズ)を使わねばならないときにさっぱり使い方が分からなかったとき、同じ目的を達成するのに「Macintosh LC475」という小さく美しいコンピュータが隣にあり、すっかり心を奪われてしまったのである。

 とりわけ、MacOSが9からXになったときには悲しかった。短期集中の道路工事のアルバイトでMacintosh PowerBook180cの中古を買ったのが大学2回生の時であるから、それ以来使い込んできた道具が製造中止になってしまったかのような衝撃だった。ただし、Keynoteを使いたい衝動とiTunesを使わざるを得ない必要に駆られ、徐々に移行を始め、2005年になって「やっと」完全移行を終えたのである。ちなみにそれまでに軽さと小ささを求めてWindows(Let'sNote M32)を併用したこともあったが、上述のPowerBook180cを1998年まで、その後PowerBook Duo改(280の液晶に2300cのロジックボード)を2000年まで、その後は開発名をPismoと呼ばれたPowerBook (G3)を使い続けてきた。

 それでも、予定の管理と公開を行っているiCalをはじめ、最早WindowsにもOS9にも戻ることはできない。時折、フィールドワークをはじめ、研究素材を手際よく扱うデータ処理ソフトがWindowsでしか手に入れられないなど、もどかしい思いをすることもあるが、その他の方法を自ら工夫すれば、Macでも事が足りる。むしろ、Macという思想にしっくり来ている身としては、事が足りるように使い方の工夫をしているとも言える。だからこそ、MacユーザーがMac原理主義となってしまいがちだという自覚がある。

 ただ、つとに悲しいのはiCalのカレンダーを使いこなしすぎ、ほぼ「依存症」になてしまっているということである。というのも、今日の朝、京都での会議のはずが、入力を一週勘違いしていたらしい。夕方には同志社大学でのゼミのために京阪電車で移動したのだが、電車の選択を間違えてしまったし、明日は空堀でイベント、と入力されていたが、既に日程は変更になっていたという。こんな状況を飛躍的に解消してくれるのが、先般発表されたiPhoneであることは間違いないのであるが、果たしてこれが2008年にアジアで発売されるという発表も、日本で使えるようになるのか、秘密主義の会社ゆえに「誰も知るよしもない(Tomorrow Never Knows)」なのである。



Tomorrow Never Knows(抜粋)



人は悲しいくらい忘れてゆく生きもの

愛される喜びも 寂しい過去も

今より前に進む為には

争いを避けて通れない

そんな風にして世界は今日も回り続けてる

果てしない闇の向こうに

oh oh 手を伸ばそう

誰かの為に 生きてみても

oh oh Tomorrow never knows

心のまま僕はゆくのさ

誰も知ることのない明日へ





歌:Mr.Children・詞:桜井和寿・曲:桜井和寿(1994)

(オリジナル版)



(収録アルバム:リミックス版)



(BEST盤:リミックス版)