4月3日、今日は朝から家で仕事というか作業をして、夜には会議の出席のために梅田に向かいました。会議の名前は「被災地・被災者をNPOの専門性で支えよう! 第1回SSN(スペサポ)関西 つなプロ会議」です。なんとも、長い名前です。サンブリッジという株式会社が展開するベンチャー企業支援の拠点、グローバルベンチャーハビタット大阪というところで開かれました。
この会議の目的は、「避難所でのこれ以上の死者や状況悪化者を出さない」ミッションを掲げて活動する「被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト(略称:つなプロ)」の一環として、「被災地において最も支援が必要であると思われる障がい者、外国人、難病患者などの少数者に対する支援」をいかに進めていくか、ということでした。そもそも「つなプロ」の幹事は川北秀人さん、田村太郎さん、紅邑晶子さんの3人で、それぞれ東京・大阪・仙台の3拠点をつなぐやくわりを担っています。よって、この大阪での会議では、赤澤清孝さんの司会のもと、内閣官房に設置された「震災ボランティア連携室」の室員として民間から企画官に起用された、田村太郎さんが出席し、議論の引き出し役となりました。
会議の途中、田村さんは「震災世代」ということばを用いて、(そしてそれが私、山口が使い始めたのではないか、という含みを置きながら)阪神・淡路大震災を経験した世代だからこそ想像力が働く人々が役割を果たすことができることが多い、と訴えました。具体的には「困っている人は自分から困っているとは言わない」からこそ、阪神・淡路大震災と状況は違えど、「全ての人が初めて経験することに対して、これまでの経験を重ねればいい」のであって、「状況を読むということが何より大切」と語りました。そして、今後、泥かきや片付けなどの「ガテン系」、子ども支援や足湯などの「プログラム系」、そして通訳やヘルパーなどの「専門スキル系」と、ボランティアのニーズは三分化するだろうとの予測を示しました。それは田村さんの表現を用いるなら、「救援のフェーズから復興のフェーズへ」と変化するという見立てによるものであり、「言わば炊き出しから屋台へ」と、支援の有り様も変わらざるをえない段階に来ていることを意味します。
最も印象的だったのは、田村さんによる「ケアとか支援とは役割を与えることではないか」という問いかけでした。要するに、現地ではまだ避難所を生活の拠点としている方が多い状況の中、「避難所の方々のために」という援助ではなく、「避難所の方々とともに」として復旧から復興への歩みを進めていくことが重要だ、ということです。そのために、関西から、特に震災世代が「地元のNPOの皆さんが地元のニーズを拾う活動、そのバックヤードを支えていくように」と、各々の専門性や関心をもとに意見交換を行いました。次回の会議は13日の夜に決まり、生憎私は参加ができないのですが、それまでに(8日の夜から9日にかけて)仙台に行く機会を得ています。大学教員だけでなく文化芸術関係のNPOの立場のある人間として、現地の方々の何を支えることができるか、丁寧に考えていきます。
写真一番左が田村太郎さん(その右は大阪ボランティア協会の永井美佳さん)で、「SSN関西への期待」として「1歩先、半歩先のニーズを読む(現地でニーズを確認してからは遅い、困っている人は自分から困っているとは言わない)」、「「震災世代」としての発信を!(関西で震災以降活動してきた「元若者」としての発信をしたい)」とスライドで説明。