今年もこの日がやってきた。1.17。そもそも数字は記号であるが、この3つの数字と、そのあいだに打たれている1つの終止符は、私にとって終わらない問い(直し)の世界への扉を開いた日である。実際、阪神・淡路大震災から19年、今なお問いは深く、広がっている。
少なくとも、東日本大震災以降は欠かすことなく「阪神淡路大震災1.17のつどい」には参加させていただいているが、今年ははじめて神戸で前泊した。この間、始発で向かってJR三ノ宮駅から駆け足で向かうのが常だったが、前泊したことで、また違う雰囲気に浸ることができた。11時半過ぎにJR三ノ宮駅に着き、ホームから「そごう」を眺め、そして花時計の前を通って、開始の5時間あまり前に「東遊園地」に到着すると、前を歩いていた高校生とおぼしき2名が、ボランティアの受付テントで手続きを始めていった。大学入学時にはボランティアから遠いところにいた私も、今や、こうしてボランティアをはじめる人たちに温かいまなざしを向けている。
そして、5時46分。いつものように、5時45分50秒を前に、会場のスピーカーからは時報が流され、「46分ちょうどをお知らせ」された後、1分間の黙祷となった。会場を照らしていた電灯は消され、竹筒の中で揺らめく蝋燭の灯りと南側に建つ「神戸関電ビルディング」のオフィス照明によって浮き上がらせた1.17の文字が厳かな祈りのときを支えてくれるのだが、このところデジタル一眼レフによる連写音が静寂な空間に響き渡っていく。「伝える」側による「伝えられる」側への無言の暴力であるようで、小さな怒りを覚えるのだが、それを前後して、私が学生と共に赴いた9月の東北において、宮城の名取でお目にかかった方と再会をし、「地域における関心の高さ」、「時間の経過と共にもたさられる関係の変化」などについて意見交換をしたことは有意義だった。
「つどい」の後は、人と防災未来センターに向かった。実は今、震災資料専門員の高森順子さんからの呼びかけで、この夏に行った「定点観測写真」の展示が行われているためである。ここでも前述の閖上でお会いした方とお目にかかり、さらには人と防災未来センターの南側の「なぎさ公園」で開催されていた「ひょうご安全の日のつどい」で、学問の師、渥美公秀先生が理事長を務める「日本災害救援ボランティアネットワーク」による岩手県野田村の物産(しいたけ、ほたて)のテントを覗かせていただき、「教え子に買わして悪いな…」などと滅相もない言葉をいただきつつ、奇しくも新神戸から京都まで新幹線に乗り、さしずめ映画『その街のこども』のような気分に浸って昼からの立命館災害復興支援室の会議へと向かった。ちなみに夜は門真市教育委員会による「門真市生涯学習フォーラム~みんなでつくろう!おもしろいまち・おもろいまち門真!」にお招きいただき、應典院の取り組みを紹介させていただいたのだが、最後に「生涯学習は医療費を下げます」などと、なんだか珍妙なことを述べ、長い一日を終えた。