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2015年3月12日木曜日

遺すものをどう残すか

自他共に認めるモノフェチである、と思う。モノフェチの傾向の一つとして、モノをスペックやコードネームで語るという傾向があるのだが、例えば本日、走行10万キロに達した現在の愛車も、4ドアのST162の後期型、エンジンは3S-GEなどと語ることができる。そうした習性に加えて、持ち物も飾り物もお蔵入りの物が多いことからも、れっきとしたモノフェチと言われそうだ。ちなみに人物、ということばにも物という文字が入っているが人物にも高い興味を抱いている自覚がある。

そんなモノフェチな私は、今日、建物の撮影というお仕事を担った。身を置いているお寺、應典院の本寺、大蓮寺が経営してきた「パドマ幼稚園」のリニューアル工事が完了に近づき、程なく開催される竣工式のリーフレットの作成のためである。私が幼稚園の頃に比べると、プライバシーへの厳しい配慮が求められていることもあって、撮影には細心の注意が求められる。今回は撮影だけでなくリーフレットのデザインも依頼されたため、仏教の師、秋田光彦園長による文字表現を手がかりに、仕上がりのイメージを構想しながら現場に立った。

最近は撮影の仕事も減ってきているが、静物の撮影はSONYのDSC-R1に頼ることが多い。恐らく2006年、同志社で働き始めた頃に、在庫僅少状態になったときに新品を底値で買ったものだ。高校時代、水越武さんの写真に魅せられ、ご自身が使っている機材に関心を向け、それがライカとコダクロームで撮影されたものを知った。あいにくライカには手を出すことはできなかったが、写真家になられた当初の槍・穂高での撮影にはニコンも使っておられたといった情報に触れ、真似してニコンとコダクローム、そして昭和の時代の東京オリンピック前後に発売された85mmF1.8などを入手し、多くの場面を切り取らせていただいてきた。

その後、すっかり時代はデジタルが隆盛となり、フィルムでの撮影は趣味の一つになってきた。DSC-R1の「撮って出し」のJPEG画像は、初期のCMOSセンサーだからなのか、あるいはT*コーティングのためか、リバーサルフィルムで撮影したときのような心地の良い色の乗りと抜けがたまらないし、135フォーマットで換算するところの24mmから始まるズームレンズに助けられたことも多い。それでも、撮ってから消していくデジタル撮影と、残り枚数を考えてシャッターを切っていくフィルム撮影とは、撮影の作法だけでなく、場への向き合い方も異なる気がしている。先般も東北やインドネシアにフィルム機材を持っていったが、もし、良品の中古に巡り合えるなら、EPSONのR-D1sを入手し、エルマリートの非球面28mm、程度の良い6枚玉ズミクロン35mm、沈洞エルマー50mmなどをカバンに入れてみたいと、夢の旅の夢を見るのであった。