「世界に対して無関心な自分に気づく」これが多様性の中に身を置くことの意義だという。語ったのは、ノーフュンス・ホイスコーレ(Nordfyns Højskole)のMomoyo T. Jørgensen(百代立枝ヨーゲンセン)さんである。同校には2016年7月に、設立者の千葉忠夫さんを尋ねて以来、2回目の訪問となるが、今回は日本からStudio-Lの皆さん(山崎さん・西上さん)と、台湾の台東県が設立したデザインセンターの関係者(郭さん、羅さん、通訳の戴さん)と共にお邪魔した。既に千葉さんは定年退職されており、今回はMomoyoさんに加え、2016年の7月からこの学校で働き始めたYuki Yamamoto(山本勇輝)さんにも対応をいただいた。
フォルケホイスコーレとは、詩人、哲学者、思想家、民主主義の指導者など複数の顔を持つニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィ(Nikolaj Frederik Severin Grundtvig)による理想と、クリステン・コル(Christen Kold)の実践によりデンマークの政治・文化と絡み合って位置づけられた成人教育機関である。Momoyoさんの説明によれば、牧師の子に生まれたグルントヴィは、自らが経験した教育、すなわち王族や宗教者の子どもたちが対象となったラテン語を礎とした教育を問い直し、そうした「スパルタで暗記による教育」(これを「薬罐(やかん)」的教育と呼ぶそうである)として情報提供のみを行うのではなく、それらを応用して知識にすることが大事と訴えた。そして、1844年、国民のために経験の交流を行う場として、「生きていることば」が大事にされる学校として、農民たちに農具の使い方、栄養や土についての知識、売り方、算数などを教え、学びへのモチベーションは文明開化(enlightenment)にあると訴え、学ぶ意味とはマニュアル化した生活を変え、自分の人生の可能性を広げることとした。ただ、最盛期である1900年ごろには274校を数えたフォルケホイスコーレだが、政権交代(社会民主党から自由党へ)の影響などを受けた(例えば、青年が労働市場に早く出ることが求められた)ことにより、2017年時点では64校(ノルウェーとフィンランドにある1校ずつを含む)となり、現在、全国組織FFD(FolkeHhøjskolernes Forening i Denmark)により、各学校の連帯が深まっているという。
デンマークの税率が高いことは良く知られているが、それは決して社会サービスを無償で受けるためのものではなく、政府への信頼のもとでの納税を通して国に社会サービスが委託され、結果として税金が還元される構図にあるのだと、Momoyoさんは説く。ここでは便宜上、学費の直接負担がないという意味で無償という表現を用いるが、教育費が無償とされるデンマークにおいて、1892年に制定されたホイスコーレ法(Højskolelov)により、フォルケホイスコーレでは学校によって学費が徴収できるという特徴がある。その上で、(1)18歳以上に、(2)専門学校とは異なる学校としてカリキュラムを構築し、(3)資格付与や成績評価を行わない、という3つの条件が満たされることによって補助金が拠出されるという(所管はKirkeministeriet/Ministry of Culture/文化省で、カリキュラムには監査が入る)。中でも、ノーフュンス・ホイスコーレの特徴は「Diversity」にあり、冒頭に紹介したような学びと成長の機会を創出しているとのことである。
デンマークの民主主義と教育との関係を捉える上では、各々に専門を持つ教員と共に社会的、教育的、援助的な支援をする「ペタゴー(petago)」の存在と機能に着目することが欠かせない。実際、E.メーリン, R.B.オールセン『デンマーク発・痴呆介護ハンドブック』(ミネルヴァ書房、2003年)の翻訳者でもあるMomoyoさんは、介護士と認知症コーディネーターの資格を取得した他、教育指導に関する学びも重ねたことにより、専門科目の教員に加えてペタゴーの役割も担うことができる。今回、台湾の皆さんが同行されたのは、2016年の台風災害により、限りある地域資源をどう活かしていくかを日常から考えるために県がコミュニティデザインセンターを設置したことが背景にあるとのことであるが、スタッフの方の言葉によれば「裏庭」の問題に目を向けることが大切であると言い、今回の訪問で「学びの再定義ができた」と感想を述べられた。転じて、Yukiさんは「フォルケホイスコーレ」と「日本人留学希望者」を結ぶInternational Folk high school Administration Service(IFAS)の活動もされており、今回の出会いとつながりが、国を越えてどんな展開がもたされていくのか、楽しみである。
フォルケホイスコーレとは、詩人、哲学者、思想家、民主主義の指導者など複数の顔を持つニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィ(Nikolaj Frederik Severin Grundtvig)による理想と、クリステン・コル(Christen Kold)の実践によりデンマークの政治・文化と絡み合って位置づけられた成人教育機関である。Momoyoさんの説明によれば、牧師の子に生まれたグルントヴィは、自らが経験した教育、すなわち王族や宗教者の子どもたちが対象となったラテン語を礎とした教育を問い直し、そうした「スパルタで暗記による教育」(これを「薬罐(やかん)」的教育と呼ぶそうである)として情報提供のみを行うのではなく、それらを応用して知識にすることが大事と訴えた。そして、1844年、国民のために経験の交流を行う場として、「生きていることば」が大事にされる学校として、農民たちに農具の使い方、栄養や土についての知識、売り方、算数などを教え、学びへのモチベーションは文明開化(enlightenment)にあると訴え、学ぶ意味とはマニュアル化した生活を変え、自分の人生の可能性を広げることとした。ただ、最盛期である1900年ごろには274校を数えたフォルケホイスコーレだが、政権交代(社会民主党から自由党へ)の影響などを受けた(例えば、青年が労働市場に早く出ることが求められた)ことにより、2017年時点では64校(ノルウェーとフィンランドにある1校ずつを含む)となり、現在、全国組織FFD(FolkeHhøjskolernes Forening i Denmark)により、各学校の連帯が深まっているという。
デンマークの税率が高いことは良く知られているが、それは決して社会サービスを無償で受けるためのものではなく、政府への信頼のもとでの納税を通して国に社会サービスが委託され、結果として税金が還元される構図にあるのだと、Momoyoさんは説く。ここでは便宜上、学費の直接負担がないという意味で無償という表現を用いるが、教育費が無償とされるデンマークにおいて、1892年に制定されたホイスコーレ法(Højskolelov)により、フォルケホイスコーレでは学校によって学費が徴収できるという特徴がある。その上で、(1)18歳以上に、(2)専門学校とは異なる学校としてカリキュラムを構築し、(3)資格付与や成績評価を行わない、という3つの条件が満たされることによって補助金が拠出されるという(所管はKirkeministeriet/Ministry of Culture/文化省で、カリキュラムには監査が入る)。中でも、ノーフュンス・ホイスコーレの特徴は「Diversity」にあり、冒頭に紹介したような学びと成長の機会を創出しているとのことである。
デンマークの民主主義と教育との関係を捉える上では、各々に専門を持つ教員と共に社会的、教育的、援助的な支援をする「ペタゴー(petago)」の存在と機能に着目することが欠かせない。実際、E.メーリン, R.B.オールセン『デンマーク発・痴呆介護ハンドブック』(ミネルヴァ書房、2003年)の翻訳者でもあるMomoyoさんは、介護士と認知症コーディネーターの資格を取得した他、教育指導に関する学びも重ねたことにより、専門科目の教員に加えてペタゴーの役割も担うことができる。今回、台湾の皆さんが同行されたのは、2016年の台風災害により、限りある地域資源をどう活かしていくかを日常から考えるために県がコミュニティデザインセンターを設置したことが背景にあるとのことであるが、スタッフの方の言葉によれば「裏庭」の問題に目を向けることが大切であると言い、今回の訪問で「学びの再定義ができた」と感想を述べられた。転じて、Yukiさんは「フォルケホイスコーレ」と「日本人留学希望者」を結ぶInternational Folk high school Administration Service(IFAS)の活動もされており、今回の出会いとつながりが、国を越えてどんな展開がもたされていくのか、楽しみである。