日本語での論文投稿から一夜明け、今日は英語論文の草稿を書き上げることになった。明日、オールボー大学の受け入れ担当の先生方のミーティングがあるのだが、私は参加できないためである。明日からはコペンハーゲンから100kmほど西にあるまち、Kalundborgまで出かけ、参加型リーダーシップの研修に参加することになっている。そのため、出席の代わりに資料で参加する、という具合である。
出席と参加は異なる。仮にその場にいても、何の貢献もなければ、参加とは位置づけられない。言わば路傍の石である。強い権限を持つ人には邪魔ものとして蹴飛ばされてしまうだろうし、不用意な人にはつまづく要因をもたらしてしまい不自由をもたらさすかもしれない。
だからこそ、不在でも貢献できるように、資料で参加するという手段が認められていると捉えている。反対に、ただそこにいるだけでも価値がある場合もある。誰かの話にうなずくことで、心地よく話ができる環境に貢献できるかもしれないし、悲しみが扱われる場合にはその悲しみを抑えずに涙を流すきっかけをもたらすかもしれない。こうして多くの「かもしれないこと」があるからこそ、他者と共に何かを生み出すことに意味を見出すことができる。
結果として英語で14ページにわたる資料を用意することができた。ちなみに資料とは英語でresourceという単語が当てはまるため、その字義から改めて日本語にしてみると再び源にする、ということになる。よって、資料を作成するためには、何らかの源(source)が必要とされる。14ページにわたる資料では、いくつかのsourceを引用して示したものの、それが事例を引き立てる果たして、私が不在のミーティングでどのような資源として活かしてもらえたか、報告を楽しみに待つことにしよう。