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2018年3月18日日曜日

1864年、デンマーク戦争に思いを馳せる。

デンマーク最古のまち、リーベを朝に出て、セナボー(Sønderborg)に向かった。ユラン半島を日本の本州(特に東日本)に見立てると、オールボーが青森、エスビャウやリーベは新潟、そしてセナボーは福島と位置づけられるような気がしている。セナボーの歴史は複雑で、デンマークに属するシュレースヴィヒ公国とその南側に位置してドイツ人が多く住むホルシュタイン公国に関わる、デンマークとプロイセン王国との「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争」(デンマーク戦争とも呼ばれる)の理解が必要である。そこにはフランス革命、ナポレオン戦争といった、歴史の教科書に出てくる出来事が複雑に絡み合ってくる。


セナボーのまちに訪れたことで、昨日からリーベのまちでデンマーク後とドイツ語がほぼ同等に表記されてきた背景には、デンマーク戦争を駆り立てていった帝国主義と関連づけられる「汎ゲルマン主義(Pan-Germanism)」と「汎スカンディナヴィア主義(Scandinavism)」の影響があることを理解した。目の前に南デンマーク大学のキャンパスの1つがあるセナボー駅から向かったのは、「ドゥッブル堡塁の戦い(Battle_of_Dybbøl)」の地であった。あいにく、歴史博物館は冬期(2月と3月)は休業中で、土日には事前予約をすれば「Oplev vinteren 1864」(Google翻訳によればExperience the winter of 1864、つまり1864年の戦争当時の状況を追体験しよう、というツアー)に参加できた。とはいえ、今回は準備が至らず、ドイツ風の風車も含めて、外観のみを味わうことにした。


店内に醸造所があるビアレストランで昼食を取り、セナボー城(Sønderborg Slot)へ向かった。日差しがよかったためか、多くの人が散歩に来ていた。さしずめ、京都御所のある京都御苑を散策するような感じであろう。城内は博物館として公開されており、フロアごとに展示テーマが定められていた。1階は城にまつわる歴史、2階は南ユトランドの歴史、3階は歴史的な背景と芸術文化について、とされていた。


 土日の、シーズンオフのデンマークの観光では、時間の使い方に困ることが多い。そもそも、歴史博物館だけでなく、昼食をとる場所さえも選ぶのに一苦労だった。それは夕食にも及び、17時で閉店となる大規模ショッピングセンターで夕食用のパンを買い、図書館に向かうことにした。もし、歴史博物館のツアーに予約し、1864年を追体験したらどんなことを味わうことができたのか、そもそも1864年にはどんな状況だったのか、想像の及ばないことを想像しながら、帰路についた。