総本店だけ、ということではないのだが、天下一品には、創業者の木村勉さんによる「正しい努力」という言葉が掲げられている店舗がある。これが直営店の証なのかは定かではないものの、例えば改装の案内が出ていたはずなのに閉店となってしまった九条店には、2階への階段を上ったところに確かに掲げられていた。ともあれ、苦労の末に「こってり」スープを開発された物語を知っていれば、このシンプルな「正しい努力」という言葉には含蓄がある、と受け止めることだろう。一方で、努力に正しいも間違いもあるか、と感じる人もいるかもしれない。
こうして言葉の機微に関心を向けてしまう私は、特に政治家が用いる「結果を出す」という表現に疑問を抱いている。結果は出すものではなく、出るものではなかろうか。逆に言えば、自分にとって望ましい結果にする、という意図や野心が見え隠れしていないかと邪推してしまう。むしろ、出た結果をどのように分析して何を結論とするのか、その思考のプロセスがこそが重要である。
総本店の味は、いつもにも増して麺や具とがゲル化する程、スープのこってり度合いが高いものだった。先般のスープが薄かったことも影響していたのかもしれない。ともあれ、緊急事態宣言の中でも客足が途切れることがなかったことが、努力が正しかったという結果をもたらしている。そんなことを思いながら、午後から夜にかけて、来週の授業用のオンデマンド動画の作成にあたった。
正しくない努力は結果として明らかになるのかプロセスにおいて自明なのか…
(Nikon D40, 40mm, f3, 1/13, ISO400)